【頭文字Bから始まるピアノブランド】


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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
& 知名度ランキング



  

メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

B. SQUIRE & SONS スクワイアー イギリス 詳細不明
BACHENDORFF シンハイ(星海)のブランド 中国 詳細不明
BACHSTEIN ご注意→→ ドイツのあの有名なピアノ、「ベヒシュタイン」の正しいスペルはBECHSTEINです
BACHSTEIN


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バッハスタイン(ワタナベピアノ)

ワタナベ楽器店(発売元)、渡辺ピアノ(製造)
新橋の楽器商の渡辺寅雄氏が製作させたピアノで、念入りに作られた数少ないものとのこと。
初め”ワタナベピアノ”と称したそう。
渡辺氏は三田の竹内楽器店の支配人でスタインウェイなどのピアノを輸入したこともある。
BACHSTEIN
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バハシュタイン ドイツでベヒシュタインの名が有名になってきた際、いかがわしい商売も生まれ、
ベヒシュタイン(Bechstein)のスペル一文字をわざと変えたインチキ商品といわれている。
BACKHAUSE バックハウス 昭和32年頃に(有)小野ピアノ製作所で作られていたという記録がある。
BALDUR バルドール ドイツ 詳細不明

BALDWIN


BALDWIN

BALDWIN

BALDWIN

BALDWIN

BALDWIN

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ボールドウィン

BALDWIN PIANO & ORGAN CO.
Since1862、アメリカ製ピアノでそのほとんどがスピネットタイプ。

木目を生かした外装が特徴的ですね。
あがき(→鍵盤の沈み込む深さ)がとても浅いのでご注意。
通常のピアノのあがきは10mmですが、このピアノは8~9mm程度しかありません。
日本製ピアノを使い慣れた方はタッチにかなり違和感を感じると思います。

総合的なピアノの作りは、THEアメリカ!という感じです。
その他の特徴としましては、3本ペダルのうち、真ん中のペダルが低音域のみ利きます。
アメリカのピアノにこの方式が多く、ウーリッツァーなどの3本ペダル機種もこの方式を採用しています。
(一般的な3本ペダルの真ん中は弱音ペダル、マフラーペダルです)

その他の特徴としては、チューニングピンへ巻かれるミュージックワイヤーが、
わざと最初に飛び出ささせてから巻き始めており、ボールドウィン独特な特徴です →★

ボールドウィンのグランドピアノには、特許を取得したAcu-Justヒッチピンが取り付けられている。
これにより弦圧調整を1本づつ個別に行うことが出来る。
また、ボールドウィンのコンサートグランドピアノには、トレブル・ターミネーションという部品の特許を取得し、
この部品によりピアノの高音部の音が明瞭で力強くなり長く持続するという特徴がある。

<歴史>
1873年、アメリカ中東部の著名な音楽教師ドワイト・ハミルトン・ボールドウィンは、
ピアノとオルガンを扱う小売店ボールドウィン・ピアノ・カンパニーを設立。
19世紀の終わり頃に会社が発展してくると、ボールドウィンはオハイオ・ヴァレー・ピアノ・カンパニーと
契約を交わし、D.H.ボールドウィン・アンド・カンパニーのアップライトと、スクエアピアノの製造を委託。
1891年、ボールドウィン・ピアノは低価格のアップライトピアノの製造を開始し、
2年後には中価格のアップライトをエリントン・ピアノ・カンパニーの名で製造するようになる。
19世紀末にはボールドウィンの名で高品質の楽器を製造するようになり、
1900年のパリ万博でグランプリを獲得する。
D.H.ボールドウィンは1899年没。会社を長老教会に遺すが、ボールドウィンの元社員の
ルシエン・ワルシンと、ジョージ・アームストロングは1903年に会社の経営権を買い戻した。
1926年にルシエン・ワルシンJr.が最高経営責任者となり、1964年に亡くなるまで会社に留まった。

1920年代、ボールドウィン社は自動演奏ピアノ、マニュアロ(Manualo)プレーヤー機構の開発で有名になり、
また、シンシナティ大学物理学部の協力の下、電子楽器の実験も行った。
ボールドウィン社が財政的に安定したのは、90cmのアクロソニック・スピネットや、
100cmのアクロソニック・コンソールを生産するようになった1936年からでした。
これらの楽器は1938年から販売された112cmのハミルトン・スタジオ・アップライトの設計、
製作へと繋がった。これは最も人気の高いアップライトピアノのひとつで、
現在目にするボールドウィンピアノの原型とも言えるでしょう。
第二次世界大戦中、ボールドウィン社は飛行機の木製部品を製作などをしていたが、
戦後はエレクトリック・オルガンで成功し、飛躍的な成長を遂げた。

1960年代から1970年代にかけてボールドウィン・ピアノ・カンパニーは金融や電子分野を含む
42社を買収し、ボールドウィン・ユナイテッドとなる。
1963年にはドイツのメーカーであるベヒシュタインを買収。
1987年まで続いたこのベヒシュタインとの関係から、ボールドウィン社は国際的な
コンサート・アーティストへのピアノ提供サービスの仕事を得たという。
1965年、ボールドウィン社は初のコンサートグランドピアノSD-10を製造。

ボールドウィン社の好調さは1983年まで続いたが、この年に金利の上昇に伴い破産を申し立て。
利益性の高いピアノ部門は役員によって買われ、1984年にボールドウィン社はふたたび私有会社に。
1980年代から1990年代初めにかけて、ボールドウィン社はサミック社と提携し、
コリアン・アメリカン・ミュージック・カンパニーを設立し、ハワード・グランドピアノを生産した。
1980年代後半になると、ふたたびボールドウィン社は規模を拡大し、
アメリカのピアノ・オルガン製造会社であるワーリッツァーなど、ピアノ関連会社を買収していった。
その後、また経営に行き詰まり、ふたたび破産を申し立てると、およそ1ヶ月後の2001年11月1日に
ボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・カンパニーは、ギブソン・ギター・コーポレーションに買収される。

機種バリエーション 140、4024、4026、5040、5045など  ボールドウィンのシリアルナンバープレート →★

ボールドウィン天板裏側に貼ってあるシール →★  ボールドウィンならではの美しい家具調外装 →★
ボールドウィンの保証書 →★  ボールドウィンピアノのドロップアクション →★
ボールドウィン(Baldwin)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1890年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ボールドウィン・ピアノ・カンパニー(Baldwin Piano Company)は、
アメリカ合衆国のピアノブランドである。
かつては米国を拠点とする最大の鍵盤楽器製造業者であり、
「America's Favorite Piano(アメリカのお気に入りのピアノ)」というスローガンで知られていた。
2008年12月にほとんどの国内生産を停止し、中国へ生産を移した。
ボールドウィンは現在アメリカ最大の楽器製造業者ギブソン・ギター・コーポレーションの子会社である。
ボールドウィン社の歴史は、ドワイト・ハミルトン・ボールドウィンがオハイオ州シンシナティで
ピアノやオルガン、バイオリンを教え始めた1857年に遡る。
1862年、ボールドウィンはデッカー・ブラザーズピアノの販売特約店を始め、
1866年に販売員としてLucien Wulsinを雇った。
Wulsinは販売特約店の共同経営者となり、会社は1873年にD.H. Baldwin & Companyと
呼ばれるようになり、彼の指導の下でボールドウィン・カンパニーは1890年代までに
アメリカ合衆国中西部で最大のピアノ販売業者となった。
1889年から1890年に、ボールドウィンは「製造し得る限り最良のピアノ」を製造すると宣言し、
続いてリード・オルガンを製造するHamilton Organとピアノを製造する
ボールドウィン・ピアノ・カンパニーの2つの会社を設立した。
会社の初のピアノ(アップライトピアノ)は1891年に販売が始まった。
1895年には初のグランドピアノを発表した。
ボールドウィンは1899年に死去し、彼の資産の大部分は伝道目的に資金を供給するために残された。
Wulsinは最終的にボールドウィンの資産は購入し、会社の体制の小売から製造への転換を続けた。
会社は1900年にパリ万国博覧会に出品したモデル112でグランプリを受賞し、
こういった賞を受賞した初のアメリカ製ピアノとなった。
ボールドウィン製ピアノはセントルイス万国博覧会と1914年英米博覧会でも最高賞を受賞した。
1913年までに、事業は活発となり、ボールドウィンは米国全土の小売店を持っていたのに加えて、
32カ国へと輸出した。
ボールドウィンは、その他多くの製造業者と同様に、1920年代に自動ピアノの製造を始めた。
ピアノ工場はオハイオ州シンシナティに建設された。このモデルは1920年代末までに不人気となり、
世界大恐慌の始まりと相まって、これはボールドウィンへ災いを及ぼした。
しかしながら、社長Lucien Wulsin IIはこういった状況のために大きな積立金を作っており、
ボールドウィンは市況の低迷を乗り切ることができた。
第二次世界大戦中、米国戦時生産委員会は戦争遂行努力のために工場を使うことができるように
米国の全ての製造業の停止を命令した。ボールドウィンの工場はエアロンカPT-23初等練習機や
カーチス・ライトC-76キャラバン輸送機といった様々な航空機のための合板製部品の製造のために使われた。
軍用機における木製部品の使用は大成功とは決して考えることはできなかったが、
合板製の航空機の翼を建造するうえで学んだ教訓は結局のところは戦後のピアノモデルで使われた
21層カエデ材ピン板の設計の開発に役立った。
戦争が終わった後、ボールドウィンはピアノの販売を再開し、1953年までに戦前の2倍の生産数に達した。
1946年、ボールドウィンは初めての電気ピアノ(開発は1941年)を発売した。
電気ピアノは大きな成功を収めたため、ボールドウィンは
ボールドウィン・ピアノ&オルガン・カンパニーに改称した。
1961年、ルシアン・ウルシン3世が社長となった。
1963年までに、ボールドウィン社はC. ベヒシュタイン・ピアノフォルテファブリックを買収し、
1986年まで所有した。1959年、ボールドウィンはアーカンソー州コンウェイに最初は
アップライトピアノの製造のために新たなピアノ製造工場を建設した。
この工場では1973年までに100万台のアップライトピアノが作られた。
1961ににボールドウィンはミシシッピ州グリーンウッドに新しいピアノ工場を建設した。
それ以降にアップライトピアノの生産はオハイオ州シンシナティからグリーンウッドへ移された。
ボールドウィン社は次にポップ・ミュージックの成長から利益を得ようと試みた。
フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションの買収が失敗に終わった後、
ボールドウィンは1965年に38万米ドルでロンドンのバーンズを買収し、
社のピアノ小売店を通じてギターの販売を始めた。
この時期、ボールドウィンのエンジニアRobert C. Schererがナイロン弦ギターのための
Prismatoneピックアップを開発した。ギターの販売に不慣れであったボールドウィンの小売店は
多くのギター購買者の興味を引くことに失敗し、売り上げは期待外れに終わった。
1967年、ボールドウィンはグレッチギターも買収した。
グレッチは自社の経験豊かなギター販売員と公認小売店の流通網を有していた。
しかしながら、フェンダーとギブソンがギター市場の支配し続け、
売り上げは期待された水準には届かなかった。
グレッチギターの経営は1989年にグレッチ家に売り戻された。
1970年代を通して、ボールドウィン社は金融サービスへ活動分野を広げるために大きな努力を始めた。
Morley P. Thompsonの指揮の下で、ボールドウィンは数十の会社を買収し、1980年代初頭までに
MGIC投資コーポレーションを含む200社を超える貯蓄貸付機関、保険会社、投資会社を所有した。
ボールドウィン社はUnited Corp. との合併後の1977年に社名をボールドウィン-ユナイテッドに変更した。
1980年、ボールドウィン社はアーカンソー州トルーマンに新たなピアノ製造工場を開業した。
しかし、1982年までに、ピアノ事業はボールドウィンの36億米ドルの収益のわずか3パーセントになった。
その一方で、ボールドウィン社は買収と新たな施設の資金を調達するために大きな債務を負っており、
次第に貸付債務の支払が困難になっていた。
1983年、持株会社といくつかの子会社が総額90億米ドルを超える負債を抱えて破産へと追い込まれた。
これは当時市場最大の倒産だった。しかし、ピアノ事業は倒産を免れた。
1984年の倒産手続き中、ボールドウィンのピアノ事業はその経営管理者に売却された。
新会社は1986年にボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・カンパニーとして公開され、
本社はオハイオ州ラブランドに移された。
しかし、人口構造の変化と外国との競争により鍵盤楽器の販売は停滞した。
ボールドウィン社は市場占有率を増やすためにウーリッツァーを買収したり、
生産コストを下げるために製造を海外に移つことで対応した。
1998年、ボールドウィン社は本社をラブランドから近隣のディアフィールド・タウンシップへ移した。
1990年代の間中ずっと、ボールドウィン社の運勢は好転し、1998年までに、
コンウェイ工場の270人の従業員は毎年2,200台のグランドピアノを作っていた。
しかしながら、2001年、ボールドウィンは再び困難に直面し、再度破産申請をした。
ボールドウィン社はギブソン・ギター・コーポレーションによって買われた。
2005年にリストラを行う際に、ボールドウィン社はトルーマン工場の一部の従業員を解雇した。
現在ギブソン・ギター・コーポレーションの子会社であるボールドウィン社はボールドウィン(Baldwin)、
チッカリング(Chickering)、ウーリッツァー(Wurlitzer)、ハミルトン(Hamilton)、ハワード(Howard)
ブランドの楽器を製造している。ボールドウィンは中国で2つのピアノ工場を購入し、
ここでグランドピアノとアップライトピアノを製造している。
過去のB米国製アップライトを再現したモデルは中国の中山市にある工場で作られている。
これらの復刻モデルにはBaldwin HamiltonスタジオモデルB243およびB247が含まれる。
これらはこれまで作られた中で最も人気のある学校ピアノである。
Donbei(東北)のより大規模な工場では現時点ではピアノは作られていない。
ボールドウィンのグランドピアノは中国の柏斯琴行(Parsons Music Group)によって作られている。
全ての新品ピアノはウーリッツァーやハミルトン、チッカリングではなく
ボールドウィンブランドの下で販売されている。
ボールドウィンは2008年12月にアーカンソー州トルーマン工場での新たなピアノの製造を止めた。
特注グランドピアノの製造と注文された多数の芸術的なグランドピアノの仕上げのために
少人数のスタッフが残っている。


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BALLINDAMM

BALLINDAMM

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バリンダム BALLINDAMM

東洋ピアノ製造(浜松)※アポロピアノ
機種:BU-10等

東洋ピアノ製ということで、もちろんM.O.Tペダルを採用しています。 MOTペダルのガチャガチャ →★

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BALTHUR BALTHÜR ポーランド 詳細不明
BARBEL
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バーベル 浜名楽器 その他詳細不明
BARENBOIM バレンボイム

ピアニスト兼指揮者のバレンボイムによりデザインされたピアノとのこと。
Steinway&Sonsの支援を受けて、ベルギーの楽器メーカーChris Maeneと共に製作。
最大の特徴は平行弦を採用している(※現代の一般的なピアノはほとんどが交差弦)

※参考:ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日 ブエノスアイレス - )は、
アルゼンチン出身の、ユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。
BARKER Barker & Co 詳細不明

BAROCK




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バロック BAROCK

浜松の東日本ピアノ製造KKで作っていたブランドの一つ。  →(株)バロック

同社で製造の「クリーベル」などと同じ雰囲気のピアノです。
他に、KEMP(ケンプ)、WESTMINISTER(ウェストミンスター)がある。 その他詳細不明

<付録>
バロックピアノの製造番号/製造年代 対照表(1972年~1990年) →★

バロックのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★  バロックのキーカバー →★  バロックの保証書 →★

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BARRTT & ROBINSON バラット・アンド・ロビンソン BARRATT & ROBINSON LTD. イギリス その他詳細不明
BARTHOL バートール ドイツ 詳細不明
BARUSTEIN


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バルシュタイン(バルスタイン)

宇都宮信一氏が東京月島にあった松本ピアノに依頼して製造。
琥珀のような深い味わいのある音を求めて命名したという。数は少ない。

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BAUMBACH バウムバッハ オーストリア 詳細不明
 BAUMGARDT バウムガルト スウェーデン(都市:リンシェーピング)

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
バウムガルト(Baumgardt)は、スウェーデン・リンシェーピングにかつて存在したピアノ製造会社である。
1871年にJohan Otto BaumgardtとAdolf Tenggrenによって創業された。
総計約1万1千台のピアノが生産された。リンシェーピングでのピアノ生産は1968年に終了し、
その後はまずアルヴィーカのエストリンド&アルムクィストで、次にフィンランドのファッツェルで
ピアノが生産された。ファッツェルでのBaumgardtピアノの生産は1974年に終わった。
BAXHARD →BUXHARDの項目へ
BECHSTEIN

BACHSTEIN

BACHSTEIN




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ベヒシュタイン(カール・ベヒシュタイン) C. BECHSTEIN  ドイツ(ベルリン)

繊細な作りと音色で、とても素晴らしいピアノです。

1853年の創業。故カール・ベヒシュタインが1855年にベルリンでピアノ工場を開設したのが始まり。
過去に1929年の世界経済恐慌と第二次世界大戦で工場が破壊、さらに材料が損なわれ、
会社の伝統に終止符が打たれる歴史を持っています。

戦後、アメリカの大手メーカーに買収されますが、ベヒシュタインの真の復活を願うドイツ人により
1986年ベルリンに戻って復活しました。
製造工程の85%以上手作業で行っており、伝統を守りつつ進歩することを求めていきました。
ベヒシュタインはピアノのストラディバリウスと呼ばれる名器で、
ヨーロッパでも屈指の優れたピアノと言うことができます。

1826年生まれの創始者カール・ベヒシュタインは、古代ドイツ民族の一つで、
チューリンジア人の血統を引いているためか、生まれつきの詩的で音楽的才能を持っていました。
そのためか、いつのまにかピアノのメーカーとしての職を選び、22才の若さで当時ベルリンで
最も有名だったペローというピアノ工場の支配人を勤めてました。

彼はペローの工場の現場で4ヵ年間忠実に働いた後に、イギリスとフランスに放浪の旅に出かけ、
有名なパペから経験主義的なピアノ製造の秘法を学び、クリーゲルシュタインという当時の
小型ピアノのメーカーから商売上の駆け引きをおぼえてその見識を広めたといいいます。

その後、1853年にベルリンで創業し1856年に最初のグランドピアノを作り上げました。
カール・ベヒシュタインの作ったこのピアノは、その同年に当時の有名なピアニスト兼指揮者の
ハンス・フォン・ビューローの演奏会に使われ、リストのソナタを弾いたコンサートでは
一躍名声を博したと言われています。

三大ピアノメーカー(ピアノメーカー御三家)の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノメーカー御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。
ベヒシュタインについてはWikipediaに詳しく書かれています →★

ベヒシュタインの音色は澄みきった細い高音と、よく鳴る低音が特徴。
新しいベヒシュタインのアクションはすべてレンナー社製で、響板にはバイエルン地方の堅いスプルース材が
用いられ、ピン板はデリグニット社製で、最近まで総アグラフが採用されていた。
ベヒシュタインのコンサートグランドは、ベーゼンドルファー同様、総一本張り張弦のため、調律の安定性が良く、
また弦が切れた際には対処がしやすいという利点がある。
20世紀になるころに生産されたアップライトピアノには、より速いレペティション(連打)を実現するために、
ジャックに追加のスプリングが取り付けられ、ハンマーバットに接続されていた。

ベヒシュタインアップライト鍵盤押さえ部分の銘柄マーク →★  アクションレールに貼られたシール →★
ベヒシュタインのオリジナルキーカバー →★
製造から100年以上経つベヒシュタイングランドのデカール →★  そのグランドピアノの優美な外観 →★
ベヒシュタインアップライトのマフラー機構は、シンプルかつ理にかなった構造で本当に良く出来ており、
日本メーカーのようにビスを外す手間もなく、バネの勢いで引っかかることもなく大変優れたものです →★
上から4枚目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
上から5枚目のエンブレム画像は「I様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

■機種/モデル バリエーション (後に記載したモデルほど高級機) ※1989年当時の機種バリエーションです
アップライト
S-115(高さ115cm)、S-12n(高さ212cm)、S-12a(高さ212cm)、
S-11a(高さ230cm)、S-8a(高さ250cm)

グランドピアノ
K(奥行158cm/アクリル鍵盤)、K(奥行158cm/象牙鍵盤)、M(奥行180cm/象牙鍵盤)
B(奥行203cm/象牙鍵盤)、C(奥行221cm/象牙鍵盤)、EN(奥行280cm/象牙鍵盤)

<付録>
ベヒシュタイン(C, Bachstein)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1860年~2001年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
C. ベヒシュタイン・ピアノフォルテファブリック(C. Bechstein Pianofortefabrik)AG、
通称ベヒシュタイン(Bechstein)は、カール・ベヒシュタインによって
1853年に創業されたドイツのピアノ製造会社である。
1853年、カール・ベヒシュタインによってベルリンで創業。
「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、最高のピアノの代名詞である。
ベヒシュタインについてフランツ・リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、
ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった」、クロード・ドビュッシーは
「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」と言う言葉を残している。
また、セシル・テイラー、チック・コリアなどジャズピアニストにも度々使用され、
クラシック界に留まらず、その演奏性は高く評価されている。
しかし、創業からの長い年月の中で、度重なる苦難の歴史もあった。
1929年、世界恐慌で打撃を受け、さらに第二次世界大戦で工場が破壊されるなどしたため、
設計図やその他の重要な資料はもとより、熟練した職人などそのほとんどを喪失した。
また、第二次大戦中ナチス・ドイツに協力したとして(ヒトラーはベヒシュタインを
「第三帝国のピアノ」としていた)、戦後はドイツ人のナチズムからの脱却とともに
その栄光の座から退いていくこととなった。
1962年、アメリカのボールドウィン社の傘下に入ったものの、
1986年にドイツのピアノ製造マイスターであるカール・シュルツェが経営権を買い取り、
念願であったドイツ人の手に経営権が戻された。
その後は資本増強を積極的に行い、1997年には株式会社(C. Bechstein AG)となり、
資本増強と東西ドイツ統一と共に、ツィンマーマン(またはツィンメルマン、Zimmermann、
1884年ライプツィヒで創業)とホフマン(W. Hoffmann、1904年ベルリンで創業)の
ブランドを傘下に収め、ベヒシュタイングループを設立。現在に至っている。
公式HP:https://www.bechstein.com/
公式HP(日本法人):https://www.bechstein.co.jp/


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BECKER ベッカー ロシア(ソ連) 1841年創業 ソ連で最も歴史のあるメーカー その他詳細不明
BECKER キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ 
BECKSTEIN ベクシュタイン ドイツでベヒシュタインの名が有名になってきた際、いかがわしい商売も生まれ、
ベヒシュタイン(Bechstein)のスペル一文字をわざと変えたインチキ商品といわれている。

BEHNING

BEHNING

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ベーニング

静岡県浜松市豊町3513-2にある朝日ピアノのブランド。中国製造。

<朝日ピアノHPより>
Henry Behning(ヘンリー・ベーニング)
ドイツのハノーバーで1832年に生まれ
ヨーロッパ各地でピアノ製作技術を学び1856年に渡米。
1861年からHenry Behningピアノの製作を開始。
1880年に2代目のHenry Behning Jrをパートナーにして、社名をHenry Behning & Son社と改称。
1894年Henry Behning Piano Companyに社名変更。
日本ではWeber社との提携によりアサヒピアノが製造元となってお届けしています。

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BELTON

BELTON



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ベルトーン

製造:富士楽器製造株式会社(浜松)、ベルトーンピアノ研究所(浜松)
販売:内外ピアノ社

昭和7年から浜松の天竜川筋の富士楽器製造で作られていたピアノです。
戦時中に軍需工場に転換したが昭和22年にピアノ製造を再開して、
沢山清次郎氏の指導を受け飛躍的に製品が良くなったとのこと。社長は野田満氏。

ベルトーンには愛好者が多く、アップライトの上パネルの一部に
開閉できる装置を付け(特許No481852)、また沢山清次郎氏の発明による
ペダルスプリングの強弱調整装置(特許No453845)を取り付け等の
さまざまな工夫が凝らされていました。 
ペダルスプリングの強弱調整装置の写真 →★ (この写真はクリーベルピアノに付いているもの)
沢山清次郎(さわやま・せいじろう)氏のイニシャルを取ってネジ部分にS.Sと入っていますね。
※ちなみにこの強弱調整装置ですが、私の実感としてさほど強弱を変えられない印象です。

ベルトーンピアノは珍しくフレームの下部にもこのようなマークが入っております →★
E.S.T.D. →established 創立・創業
1932 →1932年(昭和7年)
F.G.S. →富士楽器製造
K.K. →株式会社

ちなみに芸大教授でもあったピアニスト、レオニード・クロイツァー氏によって
ベルトーンと命名されたと言われています。
→フレーム内の 「”BELTON” NAMED BY PROF. LEONID KREUTZER」 と命名由来が書かれた部分 →★

ベルトーンピアノの調律検査記録カード →★  ベルトーンアクションに貼られたシール →★
このベルトーンは平成24年に練馬区の力行幼稚園様へ寄贈させていただきました →★

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BENTLEY

BENTLEY

BENTLEY

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ベントレー/(ベントリー)

イギリス製(ロンドン)
1906年創業したメーカーで、1991年には生産台数16万台を超えました。

1台しか調律したことがありませんが、音量・ダイナミックにやや頼りなさを感じます。
音色は古いボールドウィンピアノ(アメリカ製)に近い感じですね。
ちなみに車メーカーで有名なあのベントレーとは関係ありません。

<歴史>
ベントレーのブランド名のピアノが初めてショールームに展示されたのは1930年だが、この人気のある
イギリスのメーカーの経営者ダグラス・グローヴァーは、ピアノメーカーの3代目だった。
そのグローヴァー・アンド・グローヴァー社は1830年頃に設立され、多いときには年間500台ほどの
楽器を生産していた。
1906年、ダグラス・グローヴァーが家業を継いだのがベントレーの始まりである。
1911年、ダグラスは思い切って店をロンドンからコッツウォルド丘陵にある使われなくなった紡績工場へ移転。
それからそこはストラウド・ピアノ・カンパニーとして知られるようになった。
ウッドチェスター・ミルの町は移転先としては完璧な立地で、絵のように美しいその場所に1605年からある
5階建ての工場には、1788年に国王ジョージ3世も訪れたことがあったという。
1920年代に生産量は増大し、1930年にダグラス・グローヴァーと息子のリチャードは、
ステューディオという新しいアップライトピアノをベントレーという新たなブランド名で売り出した。
そのピアノはすぐに人気となり、4年後には116cmのグランドピアノも生産するようになる。
ベントレー社は年間3000台のピアノを生産するまでになったが、1938年に工場が火事に遭い、
工場の大部分と機械類が焼けてしまう。それから1週間のうちにベントレー社は道を挟んだ向かい側の
小さな工場へ移った。ベントレー社はイギリスのほかのピアノメーカーなどの助けを借りて、なんとか
9ヶ月後には元々の生産レベルを取り戻した。
第二次世界大戦後、ベントレー社はアクションや鍵盤、響板、ピン板、低音部分に使われる巻線弦などを
自社で作るようになり、事実上すべての部品が自給自足可能になった。
そしてピアノを外国へ輸出して国益を支えるようになり、リチャード・グローヴァーはその貢献を称えられ、
1969年に大英帝国勲章を授与された。
ダグラスのひ孫のデイヴィッド・グローヴァーがドイツでの修行を終えて1962年に経営に加わり、
人気のあったステューディオに代わるコンパクトというピアノを1963年に新たに設計した。
このピアノも人気を博し、1980年代にベントレー社は、その多様な製品によってヨーロッパの代表的
ピアノメーカーとしての地位を確固たるものにした。
ところが、1989年にベントレー社の工場はふたたび火事に見舞われ、生産エリアの40%を失う。
その後、工場はその歴史ある場所に再建された。
1993年、ベントレー・ピアノ・カンパニーはウェルプデール・マックスウェル・アンド・コッド社に買収され、
サウスロンドンの工場へ移された。
2000年にブリティッシュ・ピアノ・マニファクチャリング社が形成され、現在、ベントレー・ピアノは、
コッツウォルド丘陵の元の工場で、オリジナルの仕様で生産されている。

ベントレーの蓋部分の銘柄マーク →★  ベントレーアクション →★
ベントレーのジャックフレンジは樹脂製です(※ジャック自体が樹脂製は良くありますがフレンジは珍しい) →★
ベントレー下パネを開けた部分のフレームに刻印されたブリティッシュメイドのマーク →★

<附録>
ベントレー・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1920年~2000年) →★

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BERLIN
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ベルリン 阿部ピアノ製作所(浜松) その他詳細不明
BERNE ベルネ スイス 詳細不明

BERNSTEIN

BERNSTEIN

BERNSTEIN

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バーンスタイン

浜松ピアノ製造株式会社で製造されていたブランド。(当時の住所:浜松市和田町552-3)
のちに協立楽器が販売元になりました。

■機種/モデル バリエーション
TB-220、TB-660
B-127、BU230、BU350、BU380、BU550、BU850、嵯峨野など(協立楽器販売器種)

バーンスタインピアノの保証書 →★  バーンスタインのまくり(ふた部分)の銘柄マーク →★
バーンスタイン親板内側に貼られた、ドイツ製ハンマーであるABEL(アベル)の使用を示す表示 →★

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BERYOZKA




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ベリョースカ BERYOZKA
ロシア(ソ連) 詳細不明

他のソ連製ピアノにもよくあるRAZNO製です(チャイコフスキーやウラジミールなど)
このメーカーの外装(突き板)はひどく剥がれてきます。

ベリョースカピアノのまくり部分(フタ部分)のブランド銘柄マーク →★

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BETTING



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TH.BETTING ベティング/ベッティング

1887年創業 ポーランド(レグニツァ) その他詳細不明

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BEYER
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バイエル 日本 阿部ピアノ製作所 その他詳細不明

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BLUEBELL


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ブルーベル

光輪楽器研究所(浜松) 昭和31年に設立された工場で、丁寧に作られたピアノであった。
昭和38年以降は記録なし。その他詳細不明。

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BLUEGHEL BRUEGHELが正しい →BRUEGHELの項目へ
BLUESTAR
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ブルースター 日本 詳細不明

BLUTHNER

BLUTHNER

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BLUTHNER(BLÜTHNER) ライプツィヒ

ブリュートナー(ブルッツナー)(ブリュットナー)
ドイツ(旧東ドイツ)旧東ドイツ国家公団 創業1853年。
高音部に4本目の打弦されないピアノ線を張ったアリコート弦(アリコート・スケーリング)を採用。
1872年に特許を取得。この打弦されない弦は自由に共振し、ピアノの高音域に豊かな倍音を与える。
このアリコート弦は実際に鳴らされる音の1オクターブ上に調律される。
作曲家のドビュッシーは、これを誇らしげにピアニストのモリス・デュメニルに見せていたそうだ。

初期の頃のアップライトピアノはオーバーダンパー方式(鳥かご式アクション)を採用しているものがあります。
参考:鳥かご式アクション写真 →★

品質の良い、手仕事生産のピアノで温もりのあるバランスのとれた音色のピアノで、均質な音色にするため、
ハンマーシャンクは取り付ける前に打撃音の音程を揃えるなど、多くの手間がかけられている。
木材は厳選されており、パイン材はメクレンブルク産、ビーチ材はドイツ低山地のもの、スプルース材と
メープル材、ならびにアルダー材は東アルプス産が用いられている。
総一本張りで調律の安定性が向上しており、弦が切れた際の処置がしやすいという利点がある。
ブリュートナーが特許を持つアクションは、1920年代までグランドピアノに採用されていた。

<歴史>
ドイツ・ファルケンハイン(現在のモイゼルヴィッツ)の家具職人だったユリウス・ビュートナーは
1853年にピアノ製作工場を設立した。ブリュートナーは限られた資金で開業したものの、そのピアノは
1854年にミュンヘンで開催された産業博覧会で好評を博し、それをきっかけにライプツィヒ音楽院内の
ピアノを製作するように依頼される。
まもなくして、ブリュートナーピアノの品質の高さは世界中に知られるようになった。
1864年にはアップライトの生産が始まり、従業員137人の会社はライプツィヒ郊外の大きな工場へ移転。
19世紀の終わり頃には、ブリュートナー社はヨーロッパで2番目に大きなピアノ製造会社に成長し、
約5万台を生産するようになる。すべてのピアノは工場から出荷される前にブリュートナー自身によって、
チェックされていたと言われている。

1910年にユリウス・ブリュートナーが亡くなると、会社は息子のマックス・ロベルト・ブルーノが受け継ぎ、
第二次世界大戦までは着実に規模を拡大していったが、戦争中の空襲で工場は破壊されてしまった。

戦後、会社はルドルフ・ブリュートナー=ヘスラーによって再建が開始されたものの、復興には何年もかかった。
東ドイツ政府の管理の下、ブリュートナー社は一時期、ベヒシュタイン社と共同の施設を使用していた。
こうした組織上の問題はあったものの、ブリュートナーのピアノは昔と変わらず手仕事で製作されたため、
かつて賞賛された品質を損なわれることはなかった。
1935年、ドイツ海軍本部はブリュートナー社に対して、飛行船ヒンデンブルク号の中で演奏するための
軽量化されたグランドピアノの製造を依頼し、この飛行船内の演奏はラジオで放送され、ブリュートナーへの
人々の関心が一気に高まったというエピソードも残っている。

ブリュートナー社は1989年に再び民営化され、世界中の音楽愛好家に大切にされてきた
ブリュートナーは、今もライプツィヒで製造されている。
現在会社を率いるのは、ユリウス・ブリュートナーの玄孫(やしゃご/ひ孫の子)イングベルトと、
来孫(らいそん/玄孫の子)のクリスティアンとクヌートである。

※ブリュートナーピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★
ブリュートナーピアノの製造番号/製造年代 対照表(1853年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ユリウス・ブリュートナー・ピアノフォルテファブリック (Julius Blüthner Pianofortefabrik)GmbHは、
ドイツ・ライプツィヒにあるピアノメーカーである。
C・ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、スタインウェイ・アンド・サンズと共に、
たびたび世界四大ピアノメーカーの一つと言われる。
「ブリュートナーのピアノは本当に歌う事が出来、そしてそれはピアノにとって最高の褒め言葉である」と
書き残したのは、20世紀最高の指揮者ともいわれるフルトヴェングラーである。
ブリュートナーの特長の一つにアリコートシステムという独特の弦構造がある。
通常の他社製ピアノは、1音に対して、弦が3本張られているが、ブリュートナーのピアノは、
高音部にアリコート(共鳴弦)と呼ばれる4本目の弦が張られている。
この4本目の弦はハンマーで打たれることはなく、共鳴させるためだけに張られており、
この共鳴によって倍音が増幅される構造である。
この4本目の弦は、3本の弦の上部に貼られ、独立した駒を経て響板を振動させていたが、
最近のモデルでは、4本が同じ高さに一列に配置されており、豊かで純度の高い高音を実現している。
1853年、ユリウス・ブリュートナーによってドイツのライプツィヒで創業された。
そして、1872年にアリコートの特許を取っている。1867年から1905年にかけ、
パリ、ウィーン、シドニー、メルボルン、アムステルダム、ケープタウンにおいて各博覧会の
ファースト・プライズを受け、1900年のパリ、1904年のセントルイス、1910年のブラッセル、
1927年のジュネーブでグランプリを獲得するなど世界的に名声を獲得してきている。
1938年に飛行船に乗せるために、アルミ製のきわめて軽いグランドピアノが作られ話題になる。
第二次世界大戦中の1943年には、他の多くのドイツのメーカーがそうである様に、
工場が空襲で焼かれ屋根は焼け落ち楽器はもちろん材料となる木材もすべて焼き尽くされたといわれる。
その後市場にピアノを送り出すまでに回復するには1948年まで待たなければならなかった。
また東ドイツ時代には一時国営化されたが、1990年の東西ドイツ統一を期に経営権はブリュートナー家に返還。
その後順調に業績を伸ばし、2005年にはヨーロッパにおけるコンサートグランドピアノの販売台数が、
2番目に多いという記録を作るまでになっている。
イギリスのヴィクトリア女王を始め、ドイツ国内はもちろんオーストリア、デンマーク、ギリシャなどの
多くの皇室にも納品される。ブラームス、リスト、チャイコフスキー、ドビュッシー、ショスタコーヴィチ、
プロコフィエフなどの多くの有名な作曲家、ブゾーニ、アラウ、ルービンシュタイン、プレトニョフなどのピアニスト、
そのほかヨハン・シュトラウス2世、フルトヴェングラー、メニューイン、マルケヴィッチなどの音楽家からも
高く評価されている。 なお、クロード・ドビュッシーが唯一自ら購入して愛用していたのがブリュートナーであり、
ブリュートナーを使って作曲していた。
そのほか、ビートルズの「レット・イット・ビー」でポール・マッカートニーが弾いているのは
ブリュートナーである(セッション風景を撮影した映画「レット・イット・ビー」の映像などで確認できる。
ちなみに、これはアビー・ロード・スタジオの所有である)。
また、フジ子・ヘミングはブリュートナーを所有しており、彼女を取り上げたNHK番組でも演奏シーンが撮影された。
中国のピアニスト牛牛もブリュートナーを使用している。
また、近年では、録音でブリュートナーを使用する世界的ピアニストが増えてきている。
なお、2007年11月までは株式会社浜松ピアノセンターが日本総代理店として販売していたが、
倒産により一時的に販売網が絶たれた。しかし2008年5月1日付けで、ブリュートナー社からの任命により
有限会社ピアノクリニックヨコヤマが日本総代理店を引き継ぎ、正規流通が復帰した。
2018年現在、6種類のサイズ(154–280 cm)のグランドピアノと5種類のサイズ(116–145 cm)の
アップライトピアノを製造している。ブリュートナーブランド以外にもBlüthner-Haesslerアップライト、
Haessler(ヘスラー)グランドおよびアップライト、そして2つのIrmler(イルムラー)製品ラインを
ドイツ工場で作っている。
公式HP:http://www.bluethnerworld.com/


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BOCKLER

BOCKLER

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ベックラー

BÖCKLER(BOCKLER) 販売:アポロ販売株式会社(東洋ピアノ製造株式会社)
ドイツ人が設計と謳っている韓国三益製。
当時、東洋ピアノ(アポロピアノ)が取り扱っていたようです。
機種:AH-28等

※東洋ピアノが扱っているCHARIS(チャリス)というピアノのトレードマークと同じなのが分かります。

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BOG & VOIGT ドイツ 詳細不明
BOHEMIA ボヘミア 中国(チェコとの広告あり) 詳細不明
BOLAND ボーランド 香港(中華人民共和国特別行政区)
販売会社名:香港博兰德钢琴有限公司 その他詳細不明
ホームページ:http://www.bolandpiano.com/

ホームページに掲載してあったブランド紹介文の翻訳

19世紀半ばにドイツで設立された "Boland"ブランドのピアノは優雅なサウンドと高度な職人技、
そして優れたパフォーマンスで有名で世界のトップ10の有名ピアノブランドの一つです。
German Boland Pianoは、西ドイツで最も有名なピアノの製造会社で、 "German Piano City"として知られる
Brunswickにあり、100年以上前から、最高品質のピアノを製造してきました。
香港Boland Pianoは、北米市場以外の東南アジアで最も早いBOLANDピアノのライセンサーであり、
世界の金融センターにある香港には、会社の将来の発展に対する強力な保証とサポートを提供するのに
十分な人的資源と情報ネットワークがあります。市場は依然として伝統的なバイオリン製造技術を遵守しており、
各ピアノはドイツの技術者によって厳密にテストされ、すべての製品が優れた性能を発揮することを確認。
厳密にドイツのピアノ業界標準の生産、音、音質、感触、技術的な指標や生産プロセスのすべての種類では、
スタイルは純粋なドイツの降下、ヨーロッパのモデルです。
BOLERO


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ボレロ 東海楽器製造(株) 詳細不明

トレードマークは東海楽器のHUTTNERと同じです
BONNARD


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ボナール BONNARD
※ブランド名の綴りが「BONARE」となっている別資料もあり(要確認)

製作:大友楽器研究所(大友ピアノ研究所)
販売:アメリカヤ楽器店
大友雅雄氏が製作(協力:松永栄二氏)

別資料では、日米商会(発売元)、大友ピアノ工房(製作)という情報もあり

BOSENDORFER

BOSENDORFER

BOSENDORFER

BOSENDORFER

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ベーゼンドルファー BÖSENDORFER (BOSENDORFER)

オーストリア 創業1828年(1827年) ジャスパーコーポレーション
※2008年にヤマハの傘下企業に。

1827年から、ベーゼンドルファーのピアノは世界中の偉大な作曲家や演奏家によって弾かれ、
賞賛され続けている。世界でもっとも製作に時間をかけるピアノメーカーとして、
ほかのメーカーとの違いを強調するべーゼンドルファー社は、グランドピアノを完成させるのに
4年もの時間をかけるが、その期間の半分は木材のシーズニングに費やされているという。

中音~高音のミュージックワイヤーがすべて1本張り(ループ弦)を採用しているのが特徴。
また、フラッグシップモデルの290インペリアルでは鍵盤の数が97鍵もあります。
通常のピアノは音域A0~C8(7オクターヴと3度)ですが、インペリアルでは
音域C0~C8で完全な8オクターヴもあります。
この黒く塗られた部分をエクステンドキー(エクストラベース)といいます。→★
これらのエクステンドベースが弾かれることは滅多にないが、
響板と駒が拡張されることで、通常の低音域の音に力強さと共鳴が加わる。
ピアニストの混乱を防ぐため、演奏中、このエクステンドキーは蓋で覆われている。
グランドのリム(側板)には堅いスプルース材が用いられており、響板の延長として機能し、
このリムとスケールデザインによって、甘く優しい高音と、基本周波数が強く鳴る低音が実現。

<歴史>
イグナーツ・ベーゼンドルファーは1794年にウィーンで生まれる。
当時ウィーンはヨーロッパ最大の文化都市であり、多くの演奏家や作曲家の本拠地だった。
ベーゼンドルファーは、名高いオルガンとピアノ製作者だったヨーゼフ・ブロッドマン(ブロートマン)
のもとで見習い修業を積んだあと、1827年に会社を設立、1828年にピアノを作り始める。
(ちなみにブロートマンはウェーバーが愛用していたピアノの製作者である)
その2年後(1830年)オーストリア皇帝から「宮廷及び会議所御用達のピアノ製造者」の称号を授けられた。
ベーゼンドルファーが作る楽器は品質が高く、造りが頑丈であったが、当時弱冠17歳だった
フランツ・リストがコンサートグランドを演奏会で弾いたことで、会社の名声は一気に高まった。
リストは単にこの楽器の音色が気に入ったのではなく、そのピアノはリストの激しい演奏スタイルにも
無傷で耐えられるほど頑丈だったのだ。こうしてベーゼンドルファ一はほぼ一夜にして、
世界のピアノメーカーのトップに上り詰めた。
1859年にイグナーツ・ベーゼンドルファーが亡くなると会社は息子のルートヴィヒに引き継がれた。
ルートヴィヒは会社をもっと大きな工場地へ移すが、成長は続いていき、1870年にはさらに広大な敷地へと
移転しなくてはならなかった。そこがウイーン第4区の現在の会社の所在地である。
ルートヴィヒには直系の子孫がおらず、1909年に引退するのを機に、会社を友人の
力ール・フッターシュトラッサ一へ売却した。
そして1931年には、その息子のヴォルフガングとアレクサンダーが受け継いだ。
1920年代の中頃まで、ベーゼンドルファー社は年間わずか数百台のピアノしか製作していなかった。
大恐慌になると生産高は急激に落ち込み、第二次世界大戦末期の数年間は、激戦で社屋が破壊されて
完全に生産が止まった。戦時中、蓄えてあった木材やピアノは薪にされてしまったという。

戦後の復興はなかなか進まず、1950年までは生産高が年間100台を超えることはなかった。
その後、1966年にキンボール・インターナショナル社の社長アーノルド・H・ハビッグが
べーゼンドルファ一社を買収する。
ベーゼンドルファー社の専門技術を活かし、キンボール社のピアノに新たな息吹を吹き込む狙いからだった。
この買収は一般的な買収と違い、両社にとって極めて有意義なものとなり、2002年1月にベーゼンドルファ一社が
キンボールとの提携を解消するまでその関係は続いた。
その後、オーストリアの銀行グループ、バーヴァック(BAWAG-P.S.K.オーストリア労働経済郵便銀行)
の支援を受け、ベーゼンドルファー社は、世界最高品質のピアノを製作する偉大なメーカーの地位を
完全に取り戻した。

ベーゼンドルファーは、ピアノメーカー御三家の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノ御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。

■機種/モデル バリエーション
モデル170cmグランド:鍵盤数88鍵
モデル200cmグランド:鍵盤数88鍵
セミコンサートグランド225cm:鍵盤数92鍵
フルコンサートグランド275cm:鍵盤数92鍵
フルコンサートグランド290cm:鍵盤数97鍵
1989年(平成元年4月)のプライスリストでは価格12,420,000円で当時スタインウェイよりも高価でした。

アップライトピアノ130studio:鍵盤数88鍵(高さ132cm)

ベーゼンドルファーの響板に書かれたサイン →★

<附録>
ベーゼンドルファー 製造番号/製造年代 対照表(1828年~1986年) →★
<上記データより新しい製造番号> 1990年・・・40384  2001年・・・45965

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
L. ベーゼンドルファー・クラヴィアファブリック(L. Bösendorfer Klavierfabrik)GmbHは、
オーストリアに所在するピアノ製造会社である。2008年からはヤマハの完全子会社。
標準的な88鍵のピアノに加えて、低音部が拡張された92鍵および97鍵のピアノを製造していることで知られる。
1828年、オーストリア・ウィーンにてイグナーツ・ベーゼンドルファーにより創業された。
以来、各国の帝室や王室の御用達として選定されたり、産業博覧会で入賞したりするなど、
名声を高めていく。第二次世界大戦後の一時期、経営難に陥って経営が
アメリカの企業体に移ったこともあったが、2002年にオーストリアの銀行グループである
オーストリア労働経済郵便銀行が経営権を取得して、名実ともにオーストリアに復帰した。
しかし2007年再び経営難に陥り、2008年にヤマハの子会社となった。
ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで
多くのピアニストや作曲家の支持を得て、数々の歴史あるピアノブランドが衰退していく中、
その人気を長らくスタインウェイと二分してきた。
ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。
ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。
最近のピアニストではアンドラーシュ・シフ、パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、
フリードリヒ・グルダ、ギャリック・オールソン、ヴァレンティーナ・リシッツァも
ベーゼンドルファーのピアノを好んで用いている。
また、スヴャトスラフ・リヒテルも何枚かの録音を残している。
かつてベーゼンドルファーのピアノは1980年までショパン国際ピアノコンクールの
公式ピアノの一つであったが、のちにヤマハとカワイとファツィオリが採用されたことにより
公式ピアノから除外された。ウィーン・ベートーヴェン国際ピアノコンクールでは、
使用ピアノがベーゼンドルファーだけと決まっている。
「インペリアル」とも呼ばれる最上位機種のフルコンサートグランドピアノ「モデル290」が
ベーゼンドルファーの代表機種で、標準の88鍵の下にさらに4〜9組の弦が張られ、
最低音を通常よりも長6度低いハ音とした完全8オクターブ、
97鍵の鍵盤(エクステンドベース)を持つピアノとして有名である。
これはフェルッチョ・ブゾーニがJ.S.バッハのオルガン曲を編曲したとき、
低音部に標準のピアノでは出せない音があったため、ルードヴィッヒ・ベーゼンドルファーに
相談したことが始まりと言われている。エクステンドベースが追加されたことによって
弦の響板が広がり、共鳴する弦も増えて中低音の響きが豊かになった。
しかしそのため、しばしば一部のピアニストからは「中低音の響きは豊かだが、
高音とのバランスを考えて弾かなければならず、弾きこなすのが難しいピアノだ」と言われる。
以前は、拡張域の鍵の部分に小さな蓋を付けることで、一般の曲の演奏時に誤打を防いでいたが、
現行品では白鍵も黒くすることで区別している。音色は至福の音色と呼ばれる。
ベーゼンドルファーのピアノは1年以上の月日をかけて全工程を手作業で作られている。
代表的なモデルでは井形に組まれた強固な支柱の上にスプルース材のブロックを積み上げて
インナーリムを製作し、それに比較的薄いスプルースからなるアウターリムを張り合わせることで、
ピアノ全体がスプルース材を介して豊かな中低音を響かせる設計となっている。
現在までにベーゼンドルファーが生産したピアノは50,000台ほどで、
およそヤマハの100分の1、スタインウェイの10分の1である。
市場拡大のため、それまで経済的な理由で同社の標準モデルを導入できなかった
大学などの教育機関向けにコンサーヴァトリーシリーズ(Conservatory Series)を設計した。
生産の過程で「non-critical areas」と呼ばれる生産ラインに依存する時間を短縮することで
生産コストを削り、標準モデルより安価に提供できるシステムを構築している。
ベーゼンドルファーの創立170周年や175周年にフランツ・シューベルトや
フレデリック・ショパンなどの有名な作曲家にちなんで名付けられ、設計された特別、
限定モデルのピアノなどがある。近年の特別限定モデルとしては、
オーストリアの画家グスタフ・クリムトの代表作「KISS」を天板にあしらった
クリムトモデル、ベートーベンの月光の自筆楽譜をあしらったベートーベンモデルなどがある。
また、2013年、生産台数5万台到達を記念して1台限定生産の5万台記念モデルが造られている。
ベーゼンドルファーは100年以上前から著名な建築家やデザイナーを起用した特別モデルを制作している。
1866年にウィーン楽友協会等の設計で知られる建築家のテフォイル・ハンセン(Theophil Hansen)、
1909年にヨーゼフ・ホフマン、そのほかJosef Frank、フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェや
アウディのデザインスタジオ等がベーゼンドルファーのピアノをデザインしている。
1990年に建築家のハンス・ホラインがデザインしたベーゼンドルファー・インペリアル・
グランドピアノは世界に2つしかない。1つはアメリカ、フロリダ州オーランドの
ウェスタン・グランド・ボヘミアン・ホテルにあり、もう1つは中国の上海にある。
1つ目のオーランドにあるピアノは1本の木の80%が使用され、それぞれの真鍮脚には
一本あたり約160万円の価値があるとされ、2つあるホライン設計のピアノには
それぞれ約3000万円の価値があるとされる。
日本国内では、過去に総代理店として日本ベーゼンドルファーが本社(静岡県磐田市)のほか
東京都中野区、大阪市淀川区の三カ所にショールームを所有していた。
本社ショールーム内に設けられているアンティークピアノのコレクションは
ベーゼンドルファーのみならずベートーヴェンの時代のジョン・ブロードウッドや
ショパンの時代のプレイエル、エラールなどの有名ブランドの他に、ピアニストの
アルフレッド・コルトーが所有していたダブルグランドピアノやジラフピアノといった
極めて珍しい形のピアノもコレクションされていた。
しかしウィーン本体側がヤマハに買収されたことにより2007年11月27日付で
日本ベーゼンドルファー(株式会社浜松ピアノセンター)は倒産し、
各地のコンサートホールの運営ならびに調律、修理などの事業は株式会社ビーテックジャパンに
引き継がれ、ベーゼンドルファーの技術メインテナンス会社として製品を維持している。
ヤマハが株式会社ベーゼンドルファー・ジャパンを発足し、東京都中野区に本社ショールーム、
静岡県浜松市にテクニカルサポートセンターを構え、東京、大阪に特約店を設置するなどした。
その後、2009年9月1日付けのベーゼンドルファー・ジャパン・グループ内のプレスリリースには、
株式会社ベーゼンドルファージャパンはヤマハ株式会社へ事業譲渡されると発表されている。
なお、2009年11月30日付のプレスリリースでは、テクニカルサポートセンターは、
静岡県掛川市に移転されたことが発表された。
2000年代初頭にオーディオ機器(スピーカー)の開発・製造をしており、日本国内では
オーディオ関連商社である株式会社ノアの手で輸入されていたが、ヤマハ傘下になり撤退した。
現在、ベーゼンドルファースピーカーの設計者が、創業者イグナーツがかつて在籍しており、
ヤマハとベーゼンドルファーの買収競争もしたオーストリアのピアノブランド、
ブロードマンに移り、Brodmann Acousticsとして販売されている。


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BOSTON

BOSTON

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ボストン BOSTON
所有:スタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズ・インコーポレーテッド
製造:株式会社 河合楽器製作所(日本)

ボストン・ピアノ・カンパニーは1991年に、最高音質のピアノを中価格帯で生産するために、
スタインウェイ・アンド・サンズとカワイが提携して作られた会社。
当時のスタインウェイ社の中心的なオーナーたちが、日本の河合楽器製作所に作らせたピアノです。
スタインウェイ社の経験を生かし、精巧なコンピューター技術を駆使して設計と材料のテストを重ね、
このボストンピアノの開発には6年の歳月が費やされたといいます。
ハイテクを使い、量産とコストダウンを目的に作られた楽器と言えるでしょう。

<特徴>
ボストンのグランドピアノは、同サイズの他社のグランドピアノよりも後部の幅が特に広く設計されている。
これを「ワイドテール設計」と呼びます。
そのため、響板の面積が広く取れるため、音がより大きく鳴るとされています。
尚、デュープレックス・スケールにより、楽器自身の音に加えて、倍音による豊かな響きが加わるとのこと。
さらに、音の減衰を抑える(音を長く保持)させるため、スケールデザインは低めの弦長力で設計されている。
2枚目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

<附録>
ボストン 製造番号/製造年代 対照表(1991年~2000年) →★

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BOUDOIR ドイツ 読み方その他詳細不明
BRADBURY


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ブラッドブリー BRADBURY PIANO CO. INC. アメリカ

このピアノは賛美歌や歌曲を多く残した作曲家ブラッドブリーによって作り出されたピアノで、
その名が付けられた。コンパクトな美しい作りと、優れた音色を持っている。
主として家庭向きのピアノでモダンな形が多く、当時シカゴに販売店があった。 

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BROADWOOD & SONS


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ブロードウッド・アンド・サンズ

イギリス(ストラウド) ブロードウッドは多くの演奏者に愛用され、ヨーロッパ各地の王室に納入された。
1780年から1867年のブロードウッドの生産台数は驚異的で、13万5千台ものピアノが作られた。
ジョン・ブロードウッドはモダンピアノの音色や外観、演奏機構に大きな衝撃を与えたという。
ブロードウッドは一流の音楽家や熟練した同業者に囲まれ、永遠の価値を持つ革新的発想を生むための
最高の環境に恵まれたのである。

1783年、ブロードウッド社は2本ペダルのピアノの製作を開始した。
片方のペダルはダンパーを弦から離すもので、もう片方は弦に柔らかい布を当てて
音を弱めるものだった。それまでの操作しづらい膝レバーは、これらのペダルに
取って代わられた。1817年にトーマス・ブロードウッドはウィーンのベートーヴェンを訪ね、
翌1818年にグランドピアノを贈った。それは6オクターヴの広い音域を待ち、3本弦だった。
このピアノは後にリス卜が所有し、現在はハンガリー国立博物館が所蔵している。

1888年、ブロードウッド社は『バーレス』と呼ばれるフレームの特許を取得した。
この圧延綱(あつえんこう)のフレームは外縁部にかかる弦張力に耐えられる強さを持ち、
ストレスバー(弦方向に伸びる数本の鉄骨)を必要としない。
ストレスバーは駒の質量を犠牲にするため、音を弱めてしまう欠点があるためだ。
グランド、アップライトともに、この「バーレス」のピアノが作られた。
ショパンもリストも、イギリスにおける最後の演奏会ではブロードウッドの
グランドピアノを弾いた。リストはこのメーカーの推薦を頼まれ、
『ブロードウッドのように長く持つピアノフォルテは他にない』と書いたという。

1875年、ネアズ隊長率いるイギリスの北極探検隊は、HMSディスカバリー号に
ブロードウッドの小型アップライトピアノを積んで出発した。
また1910年にはブロードウッドの自動演奏ピアノがスコット隊長の南極探検に持参され、
最初のベースキャンプの氷上で演奏されたという。

<歴史>
1732年にスコットランドで生まれ、家具職人の修業を積んだジョン・ブロードウッドは、
1761年にロンドンへ出て、著名なチェンバロ製作者のバーカット・シューディのもとで働く。
1770年にシューディの娘と結婚し、翌年にはロンドンのグレート・パルトニー通り33番の
義父シューディの工房を任される。その工房ではモーツァル卜が演奏したこともあり、
またシューディの親友だったヘンデルはそこで多くの曲を作曲した。
1760年代には、新たに登場した楽器ピアノフォルテがロンドンで話題を呼んでおり、
ジョン・ブロードウッドはこの楽器にますます魅了されていった。
シューディが亡くなった1773年、ブロードウッドはネームボードに「Johannes Broadwood」
(当初は「John」ではなく「Johannes」と署名)の名を入れた最初のスクェアピアノを売り出す。
そしてその8年後に最初のグランドピアノを発売する。
ピアノという新たな市場に専念するため、ブロードウッドは1793年をもってチェンバロの製造を終了。
(※1791年にチェンバロ製造をやめたという文献もあるが詳細不明)
そして1807年に息子のトーマスとジェームズが共同経営者になった際に、社名を
「ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ』に改めた。
1780年から1867年の間のブロードウッド社のピアノ生産高は驚異的で、135,344台ものピアノが生産され、
その中の30,481台がグランドピアノだった。
あらゆるタイプのピアノにおける主要な改良はブロードウッド社によってなされた。
ブロードウッド社はアクションとストラングパック(鍵盤とアクション以外のピアノ本体)の設計で
いくつもの特許を取得している。総木製だった従来のピアノに鋼鉄の棒と金属のヒッチプレートを
いち早く取り入れ、それまでの単一の駒を分割して低音部に独立した駒を設けた。
また、操作しにくい膝レバーを廃止し、代わりに特許を取得した「ピアノとフォルテのペダル」を導入する。
さらにブロードウッド社はイギリス式グランドアクションを改良し、ハンマーが弦を押さえつけたままにならない、
素早いレぺティション(連打)を初めて実現させた。その機構は19世紀後半まで採用され続けた。
前途洋洋に見えたブロードウッド社も、無敵というわけではなかった。19世紀には、世界最大の
ピアノメーカーというイメージを揺るがしかねない大打撃を二度受けている。
一度目は、1821年にエラール社がグランドピアノのレペティション・アクションの特許を取得したことで、
そのあとに国王ジョージ4世がエラール社の楽器を注文したのだ。
このことはジョージ2世の時代から英国王室御用達を守り続けてきたブロードウッド社にとって脅威であった。
そして1851年、ブロードウッド社を窮地に追い込んだのは、またしてもエラール社だった。
今度はロンドン大博覧会で金賞を獲得したのだ。
その後の数年間にブロードウッド社は別のいくつかの博覧会で金賞を受賞し、またジョージ4世以降の
王や女王にもピアノを納めることができて、名誉を挽回したものの、会社の運気は下降し始める。
しかし、1860年代に生産された小型アップライトピアノの人気が状況を好転させるきっかけとなり、
19世紀の終わりごろには、ストレスバーが不要となる革新的な圧延鋼(あつえんこう)フレームの設計が
導入された。1903年にグレート・パルトニー通りの歴史的な建物は取り壊され、会社は東ロンドンの
ハックニーへ移転する。このときのオーナーはシューディ=ブロードウッドの6代目だった。
その後、自動演奏ピアノの完全自社生産が始まるが、会社の財政難は解消されなかった。
皮肉なことに、ブロードウッド社を財政危機から救ったのは、1914年の第一次世界大戦勃発であった。
戦争により多くのピアノ製造業者は廃業を余儀なくされたが、ブロードウッド社の工場は飛行機の
製造を許可され、一機につき125ポンドの収入を得ることができたのだ。そのため、少なくとも経済的には
終戦まで乗り切ることができた。終戦により儲かる戦時中の仕事はなくなり、ピアノ生産が再開された。
しかし、1939年に再び戦争が勃発すると、政府の規定によりピアノ製造会社は合併を強いられることになった。
そしてブロードウッド・ピアノの生産は、サウスロンドン、クラパムの、ウェルプデール、
マックスウェル・アンド・コッド社の工場へ移った。以後20世紀の終わりまで、ブロードウッド・ピアノは
同社のライセンスのもと、ウェルプデール・マックスウェル・アンド・コッド社で生産された。
広範にわたる再編を行い、また時代の変化に合わせてグランド、アップライト、自動演奏ピアノの生産を
切リ変えながらブロードウッド・アンド・サンズは生き残り、驚くほど長い歴史を築き上げてきた。
今日、ブロードウッドのピアノは、2000年にストラウドに設立されたブリティッシュ・ピアノ・
マニュフアクチャリング・カンパニーによって生産されている。
同社はまた、ベントレー、ナイト、ウェルマー、ウッドチェスターなど、ほかのイギリスのブランドの
ピアノも製作している。

<附録>
ブロードウッド・アンド・サンズ 製造番号/製造年代 対照表(1932年~2000年) →★

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BRASTED BROTHERS
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ブラステッド・ブラザーズ BRASTED BROTHERS LIMITED イギリス その他詳細不明
BRODMANN ブロッドマン オーストリア 詳細不明
BRINSMEAD JOHN BRINSMEAD の項目へ

BROTHER

BROTHER piano

BROTHER ピアノ

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ブラザー ブラザー楽器(名古屋)

ブラザーミシンが自社の販売網を活用するためにアトラスピアノに発注したピアノ。
ミシンの会社がピアノを販売していた時代もあるんですね♪

機種バリエーション GU-172、GU-107など

ブラザーのアクション全体写真 →★  ブラザーのまくり(蓋)部分のブランド銘柄 →★

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BRUEGHEL



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ブリューゲル/(ブルーゲル)

浜松、坂本ピアノ製造(大成ピアノ製造の前身)で作っていたピアノ
※似た名称あり 注:フルーゲルとは異なる
ブリューゲルのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★

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BRUNNEN ブルンネン 東洋ピアノ製造株式会社
BUCHHOLZ


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BUCHHOLZ ブッフホルツ/ブーフホルツ/(ブッホルツ)/(ブホルツ)

東京蒲田楽器製作所(蒲田ピアノ修理所) 大田区蒲田
斉藤喜一郎氏によって、大田区蒲田で作られていた。
ブランド名は斉藤氏の夫人でドイツ人のブッフホルツの名に由来しているという。
現在のウィスタリア・ピアノ製作所。

<ウィスタリア・ピアノ歴史抜粋>
1924年、創立者斉藤喜一郎は1920年から23年までピアノ製作技術研究のためドイツに留学、
帰国後東京蒲田楽器製作所を設立し、「ブッフホルツ」および「ホルーゲル」を製作する。
戦後、横浜に(有)クレールピアノ製作所を設立。西ドイツピアノ製作業界視察のため再渡欧、
特にグロトリアン・スタインウェッヒピアノ会社の親交を得てピアノ製作技術の指導を受ける。
1956年、製作者の紋章に象り、ウィスタリア・ピアノ製作所と改称。
ブッフホルツのまくり部分の銘柄マーク部分 →★
BURGER & JACOBI
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バーガー・アンド・ジャコビ アトラスピアノ製造株式会社

BURGMULLER


BRUGMULLER ピアノ

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ブルグミューラー/ブルグミュラー

ビオン楽器製作所
日本シュバイツァピアノ株式会社

磐田市の日本シュバイツァー(株)で作っていたブランド

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BUXHARD バックスハルト 朝日楽器製作所
 






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