【頭文字Fから始まるピアノブランド】


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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
& 知名度ランキング


  

メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 

F. CHOPIN
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エフ.ショパン 日本 戦前のブランド 詳細不明
FAHR ALBERT
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ドイツ 読み方不明(ファール・アルバート?、ファー・アルバート?) 詳細不明
FALCONE
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ファルコーネ/ファルコン 中国 詳細不明
 FALCONE


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ファルコーネ Falcone Piano Company
現所有:ピアノディスク社

この会社はイタリア出身のピアノ技術者サンティ・ファルコーネによって1984年に設立された。
ファルコーネの目標は、世界トップレベル品質のグランドピアノを手頃な価格で提供することだった。
ファルコーネは1978年に、成功していた小売店チェーンを売却し、ピアノ製作の実験をスタートさせた。
ボストンの投資家と技術者を集め、1982年に長さ183cmの最初のグランドピアノを作り上げ、
その翌年には、274cmのコンサートグランドを完成させた。
1984年、ファルコーネ社は11人の技術者を雇い、月にわずか2台のピアノを製作した。
1987年には40人が月に5台製作するようになり、会社はマサチューセッツの古い靴工場を買って、
最上階をコンサートホールに改造した。
1989年、ファルコーネ社は、ゾーマー・アンド・カンパニーを買収。
買収されたゾーマー・アンド・カンパニーはすでにメイソン・アンド・ハムリンのブランド名を所有していたため、
ファルコーネ社はゾーマー(SOHMER)のブランド名も取得した。
サンティ・ファルコーネは1991年に会社を実業家のバーナード・グリアに売却し、
ファルコーネのブランド名はメイソン・アンド・ハムリン・カンパニーに取り込まれた。
1994年、メイソン・アンド・ハムリン社の倒産に伴い、ファルコーネ・ピアノの生産は終了。
その後、1996年にピアノディスク社がメイソン・アンド・ハムリン社を買い取り、
このファルコーネのブランドも所有している。
今のところ、このファルコーネというブランドでピアノ製造が再開される予定はない。

<特徴>
ファルコーネ社は、「サウンドボード・キャリブレーター」という響板の調整装置の特許を取得した。
これは響板の張力を調整でき、ピアノの音色を変化させられるというものである。
ファルコーネ社はグランドサイズで、9ft、7ft 4in、6ft 1inの3種類のピアノを生産。
これより小さなピアノは手作り楽器としての良さを失うと信じており、小さなピアノは生産しなかった。
ファルコーネピアノの音質は、全音域を通してどのようなダイナミクスで弾いても、豊かで均一であると、
ジャズ界やクラシック界の有名ピアニストの多くが認めている。

※その他、MASON & HAMLINや、SOHMERの項目も参照

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FAMILY
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ファミリー 東和楽器木業股份有限公司 

日本の河合楽器製作所との技術提携のメーカー。社長は陳文聰氏。
工場は桃園県大渓にあって従業員数は最盛期で500人を超えたこともあり、
ピアノ工場としてはかなりの規模。
ブランドはKAWAIという名称も使っていたが、アップライトの一部には
FAMILYというブランドも開発していた。 

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FAUTH
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フォース 日本 戦前のブランド ※ドイツ製アクションに同名のものがあるが詳細不明
FAZER
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ファツェル フィンランド 詳細不明

HELLASは1989年、このFAZERも買収し、
フィンランド国営企業として2つのブランドのピアノを製造。
ピアノ背面に一般的にある支柱(バックポストと言います)がないのが特徴。
鉄骨のみで弦の張力を支えています。

FAZIOLI

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ファツィオリ イタリア

住所:Via Ronche 47, 33077 サチーレ(サチレ) 設立:1981年

1981年のフランクフルト・ミュージック・フェアに於いて、それまで誰も知らなかったイタリアのメーカーが、
新しい設計の4台のピアノをお披露目した。
そのわずか20年後、ファツィオリ・ピアノは、世界最高のピアノメーカーの候補として自ら名乗りを上げた。

ファツィオリ・ピアノは豊かな音色で、音とタッチが均一であり、フルオーケストラと協演しても
耳障りな音にならずによく通る響きを持っている。
ファツィオリはグランドピアノのみ製作され、すべて手仕事生産である。
全長308cmのグランドは、現在入手可能なコンサートグランドピアノの中で最大。
そのピアノには4本目のペダルがあり、踏むとハンマ―が弦に接近して音が弱くなるが、
ウナコルダペダルのように音色を変化させることはない。
ファツィオリ・ピアノは、ふたつのアクションとペダルリラをセットで購入することも可能で、
演奏者は好きなときにボイシングの異なるアクションに取り換えることができるのが特徴。

響板に使用される木材は一般的なスプルースではなく、
イタリアのフィエンメ渓谷から伐採された赤トウヒが使用されている。

<広告より>
1981年ピアニストでありエンジニアであるPaolo Fazioli (パオロ・ファツィオリ) 氏によって設立、
グランドピアノのみを少数生産しています。
ヴェネチアの北東60kmに位置する木工産業で有名なSacile (サチーレ) に工房を構え、
素材選びに始まり細部の仕上げにまで徹底したこだわりを持ち、ハンドメイドを追求するため、
生産数は年間数100台程のみ。
また、出来上がった全てのピアノを社長パオロ自ら試弾してチェックするという
徹底したこだわりによって、"名誉あるピアノ" が生み出されているのです。

<歴史>
機械工学の知識と、ぺサロの音楽院でディプロマを取得したほどのピアノ演奏技術とを
合わせ持つパオロ・ファツィオリは、ピアノに何を求めればよいかを知るユニークな立場にある。
それまでに試したどのピアノにも満足できず、ファツィオリは35歳のときに、家族が経営する
大きな家具店で働くという保証された道を捨て、まったく新しいピアノの設計と製作に賭けた。
家族の工場の隅に店を構え、パオロはあらゆる既存メーカーのピアノの研究に取りかかった。
そして、木材のシーズニングから音響学にいたるまでの、さまざまな分野の専門家からなる
チームを結成し、多くの研究と実験を重ねたのちに、4つの試作モデルを作り出した。
それらはすべてグランドで、全長156、183、228、278センチの4タイプだった。
パオロの最大のリスクはイタリア語のブランド名を用いることだった。なぜなら、
イタリアのピアノ産業はクリストフォリの時代以来、ほぼ休眠状態にあったからである。
しかしパオロは、ピアノが十分優れたものならきっと市場を獲得できるはずと信じ、
意思を曲げなかった。この企業がまさに大成功であったことは、ほとんど疑う余地がない。
4つの試作品はすベて1981年のフェア終了後に売れ、製造を開始した1年目にさらに6台のピアノが製作された。
1986年には新たなふたつのモデルの生産が開始された。それらは全長228cmと308cmの大きなグランドである。
ファツィオリは今も手作りで、2001年の夏に移転した特設工場では生産高が年間80台から120台へと増えた。
新しい会社内には研究施設とコンサートホールも併設されている。

<附録>
ファツィオリ・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1981年~2001年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
ファツィオリ・ピアノフォルティ(伊: Fazioli)は、1981年に創業したイタリアのピアノメーカーである。
創始者兼現社長、パオロ・ファツィオリは、家具職人の家に生まれ、ロッシーニ音楽院でピアノを、
ローマ音楽院で作曲を専攻した後、ファツィオリ社を1981年に創業した。
綿密な手作業をふんだんに盛り込み、世界で最も高額なピアノとして知られている。
また独立アリコート方式、「第4ペダル」など特殊な設計でも知られる。
現時点で世界最長サイズ(奥行き308センチメートル)のモデルも製作している。
工場はイタリア北部のサチーレにある。
この際、各分野の専門家たちに、ゼロからピアノを設計する計画への参加を要請。
ミケランジェリのピアノ調律も務めたピアノ調律師兼製作者のチェーザレ・アウグスト・タローネの
弟子らを招聘し、1980年に最初のモデルを完成させた。
製品ラインナップはグランド・ピアノに限定されている。生産台数は、2009年時点で年間120台程度とされる。
ピアノの音色を決定づける響板は、フィエンメ峡谷産のレッドスプルースが使用されている。
またファツィオリの響板は、製作が終わってから2年間、空気管理された倉庫で熟成される。
他メーカーでは機械によるハンマーのフェルト作りが一般的であるが、
ファツィオリはフェルトに硬化剤を使用せず、
手作業でフェルトを作る。これにより弾力に優れたハンマーが得られる。
現代の一般的なピアノ製造工程では、ピアノ内部の鉄製フレームを鋳造する際、真空吸引法を用いる。
これは鋳型の隅々に鉄を確実に流し込み、作業を短時間で進めることができるという利点を持つが、
ファツィオリでは、伝統的な方法で時間をかけて鋳造している。
多くのピアノの中高音部の駒からヒッチまでの弦(バックストリング)には倍音を豊かに響かせるための
アリコートブリッジが取り付けられている。
通常のアリコートブリッジは一体型で、各音程毎にアリコートブリッジの位置を独立して
調節することは不可能である。
ファツィオリでは各音のブリッジを個別に移動できる独立アリコート方式を採用している。
ただし、独立式アリコートブリッジはファツィオリのみに見られる特徴ではない。
ファツィオリでは、駒の基礎(カエデとマホガニーとの積層材)上に貼る木材に
カエデとシデとツゲの3種を用い、硬度の違いを生かして音域ごとに
(低音から中音域にカエデ、高音域にシデ、最高音域にツゲ)3種を順に使用するよう設計している。
駒の表面の加工も、熟練した職人の手作業で仕上げられる。
通常の3本のペダルのさらに左側に4番ペダルのあるものがあり、この特許を取得している。
このペダルによって、ハンマーと弦の距離が短くなり、同時に鍵盤が浅くなる。
ファツィオリはこれを「音色を変えることなく音量のみが小さくなる」としている。
これによってピアニッシモの効果が得られるだけでなく、グリッサンドや速いパッセージに利点がある。
4番ペダルは、モデルF308のみ、標準仕様である。
他機種ではオプションで4本ペダル仕様にすることが可能であるが、追加料金が必要となる。
また購入後にペダルの増設はできない。
ファツィオリでは防錆と美観を考慮し、金属部品に金メッキ処理を採用している。

<ファツィオリは、下記6種類のグランドピアノを製造>
■F156 ※ヤマハで例えるとC1とほぼ同じサイズ
■F183 ※ヤマハで例えるとC3とほぼ同じサイズ
■F212 ※ヤマハで例えるとC6とほぼ同じサイズ
■F228(通常のセミコンサート・グランドピアノ) ※ヤマハで例えるとC7とほぼ同じサイズ
■F278(通常のフルコンサート・グランドピアノ) ※ヤマハで例えるとCFXとほぼ同じサイズ
■F308(ファツィオリ独自の特大コンサート・グランドピアノ) ※ヤマハにはないサイズです
→機種番号のFに続く数字は、ピアノの奥行きを(センチメートル単位で)表しています。
※ちなみにベーゼンドルファーのフラッグシップモデルである「インペリアル」の奥行きは290cmです

《日本における納入先施設(一般公開施設のみ) 上から納入時期が早かった順です》
栗東芸術文化会館さきら(滋賀県栗東市)F278 ※日本で初めてファツィオリを納入したホール
北上市文化交流センター さくらホール(岩手県北上市)F278 ※2005年 アルド・チッコリーニが再来日し演奏
石川県こまつ芸術劇場うらら(石川県小松市)F212 ※詳細は公開されていない
美浜町生涯学習センターなびあす(福井県三方郡美浜町)F308 ※F308が国内最初に設置された施設
豊洲シビックセンター(東京都江東区)F278 ※舞台周りの壁が総ガラス張りで夜景が見えるホール
渋谷ホール(東京都渋谷区)F212 ※2018年11月納入
風テラスあくね(鹿児島県阿久根市)F278 ※2019年1月納入
フェニーチェ堺(堺市民芸術文化センター)(大阪府堺市)F308(特注モデル) ※2019年3月納入
中札内文化創造センターハーモニーホール(北海道中札内村)F278 ※2020年1月納入

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FEINTON
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フェイントン 北朝鮮 パコやグラチアと同系ピアノ 詳細不明
FELIXSHULLER
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フェリックスシューラー 昭和楽器 詳細不明
FERD. THÜRMER
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フェルディナント・ テュルマー 1834創業 ドイツ

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
Ferd. テュルマー・ピアノフォルテファブリック(Ferd. Thürmer Pianofortefabrik)は、
ドイツ・ボーフムのピアノ製造会社である。
テュルマー家は100年以上ピアノの製造を続けて、現在はボーフムに工場を持つ。
1834年にフェルディナント・テュルマー(Ferdinand Thürmer)によて創業された。
第二次世界大戦で工場はソビエトに破壊されたが、戦後に再建され成功を収めた。
公式HP:https://www.ferdthuermer.de/

FEURICH

FEURICH

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フォイリッヒ (ホイリッヒ)  ドイツ(旧西ドイツ) 1851年創業
ジュリアス・フォイリッヒはドイツ・ライプツィヒでピアノ製造会社FEURICH社を創業

ユリウス・グスタフ・フォイリッヒは、パリのプレイエルの工場でピアノ製作を学び、
1851年にドイツに帰ってライプツィヒに会社を設立した。
フォイリッヒはそれまでドイツで知られていなかったアップライトピアノ製作の詳細な
知識を持ち帰った。1930年代には、フォイリッヒのグランドピアノは世界中の40以上の
コンサートホールに所蔵されるようになった。

フォイリッヒはユリウス・ブリュートナーと同じ街で開業することになったため、
当初、フォイリッヒ社はアップライ卜のみを、ブリュートナー社はグランドのみを製作するという
取り決めがなされた。しかしその平和な合意も4年しか続かず、競争心に動かされたふたつの会社は
ともに両タイプのピアノを製作するようになる。
フォイリッヒ社は着実に成長していき、20世紀の初めには良質のピアノを製作していた。
第一次世界大戦が始まった1914年、フォイリッヒ社の360人の従業員は、年間1,000台のアップライトと
600台のグランドを生産した。1920年代には生産高が落ち込むが、それでも社長のカール・ミューラーは、
経営不振に陥ったベルリンのオイテルペ社とW・ホフマン・カンパニー社を買収した。
第二次世界大戦ではライプツィヒの工場が破壊されたが、
戦後ミューラーは3つすベてのメーカーのピアノの生産をベルリンで開始する。
1949年、創業者のひ孫のユリウス・フォイリッヒはミューラーの支援を受け、ラングラウに新工場を建設する。
以後、この場所はオイテルぺ社の工場になった。
1958年に会社は国営化され、グループはオイテルペ・ピアノ・カンパニーの旗印のもと着実に成長し続け、
1979年のピーク時には276人の従業員が年間2,500台のアップライトと250台のグランドピアノを生産した。
1991年7月、ベヒシュタイン社がオイテルペ・ピアノ・カンパニー社の株の過半数を買い占める。
自治的経営を認められたフォイリッヒ社は、5キロほど離れたところに新たな工場地を見つけて、
1990年代の大半は徐々に生産高を増やした。現在フォイリッヒ社は、グンツェンハウゼンの工場で
アップライ卜とグランドピアノを安定して生産しており、1920年代と30年代の自社の美しい楽器をモデルにした
コンサートグランドの製作を計画している。

※現在のフォイリッヒは中国メーカーの傘下 (従いましてBVK認証は受けておりません →★

<附録>
フォイリッヒ・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1860年~2000年) →★

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
フォイリッヒ(Feurich)は1851年にザクセン王国ライプツィヒで創業したピアノ製造会社であり、
1948年までライプツィヒで生産していた。
現在、フォイリッヒブランドのピアノは中国の海倫鋼琴(ハイルンピアノ)の工場と
ウィーンの6区の工場で製造されており、ウィーンの7区に所在する
ヴェンドル・ウント・ルングGmbHによって流通されている。
フォイリッヒはライプツィヒに歴史的ルーツを持つピアノ製作者一族およびピアノブランドである。
フォイリッヒピアノは現在中国寧波市にある海倫鋼琴(ハイルンピアノ)の工場で生産され、
ウィーンのピアノ販売・開発会社ヴェンドル・ウント・ルングの指揮の下で世界中で販売されている。
加えて、2016年からは、オーストリア・ウィーンの6区にも生産施設が存在する。
創業者の曾孫のユリウス・フォイリッヒは2012年からはもはやフォイリッヒブランドの権利と
フォイリッヒピアノの生産には関わっていない。
ライプツィヒはパリ、ロンドン、ウィーンに次いで、ヨーロッパの音楽文化の
最も重要な都市の一つであった。
ここで、1851年にユリウス・グスタフ・フォイリッヒ(1821年-1900年)が
「Pianofortefabrik Feurich」を創業した。
1860年までに、400台以上の楽器が製造販売された。
その後、より大規模で現代的な工場が建設された。世紀の代わり目には、
1万4千台近いアップライトピアノとグランドピアノが作られた。
フォイリッヒに加えて、ピアノ製造業者のブリュートナー、シンメル、Gebr. ツィンマーマン、
フップフェルト、およびその関連産業もライプツィヒを拠点としていた。
ユリウス・グスタフ・フォイリッヒとヘルマン・ハインリヒ・フォイリッヒは
ザクセン王国王室御用達の称号を与えられた。
その後、自動ピアノの時代が訪れた。フォイリッヒはこの産業における
多くの非常に成功した企業と協同した。
機械式楽器製造者であるヒューゴ・ポッパーとは親交を深めた。
M・ウェルテ&ゼーネによる自動演奏システムウェルテ=ミニョンやフップフェルトによる
Phonola、PhilipsによるDucaが導入された。
第一次世界大戦はこの地域に厳しい挫折をもたらした。
そのため、ピアノの代わりに様々な戦争物資のための包装容器が次第に製造されるようになった。
1919年までに、3万4千台以上のアップライトピアノとグランドピアノが製造された。
インフレーションの間、通貨の価値が維持されず、人々は通貨を素早く有形資産へと変換したため、
ピアノ生産は全速力で行われた。
後に、大恐慌が来ると、人々は通貨を生活必需品に使わなければならず、
ピアノ生産は大幅に低下した。フォイリッヒはこの時期、無線機器のための筺体も生産した。
第二次世界大戦中、戦争必需品(光学機器や抗対空砲火ヘッドライトのための梱包用箱)の生産を
再び余儀無くされた。1943年、工場建物は爆撃され、生産施設や会社に歴史的に関係のある
全ての展示品、その他の書類、設計のための模型が失われた。
当面はハーモニウム工房テオドール・マンボルクでの生産が続けられた。
戦後、工場の修復が行われ、1950年にようやく新らしい楽器が工場から出荷された。
ユリウス・フォイリッヒJr. は1951年に西ドイツへ逃れ、ミッテルフランケンのピアノ製造業者
オイテルペ(Euterpe)に加わり、共同経営者となった。
フォイリッヒ・ブランドのピアノも生産されていた。ドイツ民主共和国(東ドイツ)当局は
ライプツィヒで経営を行っていたユリウス・フォイリッヒSr.にラングラウでの事業の継続に難色を示した。
1958年、ユリウス・フォイリッヒSr. は事業の国営化を勧告された。
その後、東ドイツに残っていた残りのフォイリッヒ家の人々も西側へ逃れた。
1959年、「ユリウス・フォイリッヒ・ピアノフォルテファブリックGmbH」が西側で新たに設立された。
日本のピアノメーカーヤマハとカワイの出現により、ドイツのメーカーが数を保つのが次第に困難となった。
1991年、オイテルペ社(したがってその傘下のフォイリッヒ社)が
ベヒシュタイン・グループによって買収された。
楽器は当初ベヒシュタインのベルリン工場で生産された。
フォイリッヒのCEOであったユリウス・マティアス・フォイリッヒはフォイリッヒの社名が
それほど重要ではない役割しか果たさないことに不満だったため、
1993年にベヒシュタイン・グループからフォイリッヒの株式を購入した。
再び独立してから3年後の1994年、フォイリッヒはフランクフルト・ムジークメッセ
(楽器と音楽の国際専門見本市)に出品した。
ニュルンベルク近郊のグンツェンハウゼンの自社工場が完成するまでは、
楽器はライプツィヒのレーニッシュ社によって製造された。
1999年から2009年までは、全てのフォイリッヒ・アップライトピアノおよびグランドピアノは
グンツェンハウゼン工場で一流のピアノ職人によって手作りされた。
1998年までに、フォイリッヒ社は76,210台のピアノを生産した。
以後、特に118 cmと123 cmの2種類のアップライトピアノと172 cmと227 cmの
2種類のグランドピアノが少量生産された。
2010年と2011年に、ウィーンの企業ヴェンドル・ウント・ルング社とフォイリッヒ・クラヴィア・
ウント・フリューゲルファブリカツィオーンGmbHとの間で業務提携が行われた。
意図はポートフォリオの拡大であった。一方では低価格帯のピアノを中国での安価に生産し、
それと同時にグンツェンハウゼン工場で手作りされたアップライトピアノとグランドピアノが売り出された。
グンツェンハウゼンにおける生産の経済発展により、2012年1月1日からの業務提携の解消が
2011年末に決定された。
2010年、ヴェンドル・ウント・ルング社はフォイリッヒの株式の大半と世界的な商標権利を取得した。
2012年にはフォイリッヒ社の買収が完了した。
今日、フォイリッヒ・ピアノの研究開発・設計はウィーンで行われ、生産のほとんどは中国・寧波市の
海倫鋼琴(ハイルンピアノ)の工場で行われている。
フォイリッヒ社の売却後、フォイリッヒ家のユリウス・フォイリッヒは
J.F. Pianofortemanufaktur GmbHの代表取締役社長となった。
フォイリッヒの商標は売却されたため、この会社はフォイリッヒ・クラヴィア・ウント・
フリューゲルファブリカツィオーンGmbHとは関係がなく、製品は「J.F.」というブランドの元で
それ以来販売されている。
1985年、「Pédale Harmonique」と呼ばれる第四のペダルによる新たな音響効果の開発が始まった。
ペダルが完全に押し下げられると、従来のダンパーペダルと同じ挙動となる。
ペダルが中間まで押し下げられると、全てのダンパーが持ち上がるが、演奏され放された鍵の
ダンパーのみが弦に落ちる。演奏されていないその他の弦はダンパーで消音されないままになる
(ソステヌート・ペダルの逆の挙動)。
2006年、試作品がムジークメッセ・フランクフルトに出品された。
ピエール・ブーレーズはこの革新を好意的に論評した。

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 FIBICH
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読み方不明
チェコスロバキア製 (現在:チェコ共和国) ペトロフ社のブランド
FIEDLER
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フィドラー ドイツ 詳細不明
FINETONE
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ファイントーン 富士楽器(外国ピアノ輸入商会)? 詳細不明
FIRST


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FIRST ファースト

東京楽器制作(株)(森技研)
沢山清次郎氏が森健氏の後を受けて東京深川の東京楽器で製作したもの。
東京楽器は森健氏が東京の深川で多年の経験を生かして名器を作ろうと工場を設立した。

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FISCHER


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ジェー・アンド・シー・フィッシャー  J.& C.FISCHER
エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品
工場:ニューヨーク 創業1840年

FISCHERは極めて古いメーカーで、創設者のフィッシャーはフェルディナンド一世
(18世紀から19世紀にかけてのナポリ王。マリア・テレサの娘を王妃とし、
ナポレオンと戦って敗れ、暴君であったと歴史上の記録に残っている)のお抱えの
ピアノメーカーであったということから、さぞピアノの発祥地であるイタリアの伝統を
伝えるピアノであったのであろう。
この創始者、フィッシャーの二人の息子のジョン・フィッシャーとチャーレス・フィッシャーとが
アメリカでピアノの製造を始めたので、そのブランドはジェー・アンド・シー・フィッシャー
(J. & C. FISCHER)となっています。
フィッシャーはアメリカのピアノ工業の発達のために大きく貢献したメーカーです。

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FLEMMING
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フレミング 株式会社 福山ピアノ社
ブランドのスペルは”FLEMING”ではなく”FLEMMING”で、Mが2個重なります
FLICKLER


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FLICKLER フリックラー

大洋楽器工業有限会社・(株)プルツナーピアノ・及川ピアノ製作所  いづれも浜松
昭和31年から38年まで大洋楽器工業で作られており、
その後プルツナーピアノを経て、昭和45年から及川ピアノのブランドとなった。

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FLINGEL


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FLINGEL フリンゲル

発売元:ピオバ楽器社(神田神保町) 製造:広田ピアノ製作所(川崎?)
野口喜象氏が神田ピオバ楽器を経営していたときに発売したピアノ。
昭和11年頃、広田ピアノ製作所で作られた。 

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FLOBAL
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フローバル 浜松 中部楽器製造(株) 詳細不明
FLOBEL FROBELの項目へ
FLOBEL→× FROBEL→○

FLOBERGER

FLOBERGER

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フローベルガー

この機種は1台しか調律の経験ありません。詳細不明。 

”キャッスル(CASTLE)” というピアノブランドのロゴに酷似していますが、理由や詳細は不明。

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FLORA

FLORA

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フローラ

昭和37年に、浜松市に設立されたフローラピアノ製造(株)で作られていたブランドです。
当時8機種が作られていました。その他詳細不明。

音色はややシャリシャリした感じです。。まさにTHEフローラといった音色(分かる方は分かるはずです)
ちなみに、アールウィンザーというピアノもフローラピアノ製造です。
上から2枚目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

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FLORA フローラ 台湾 詳細不明
FLUGEL


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FLUGEL(FLÜGEL) フルーゲル

坂本ピアノ製作所(大成ピアノ製造の前身) 浜松市
昭和24年から昭和46年まで作られていた。

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FORO
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フォロ(FORO) 福楽鋼琴股份有限公司 台湾(中国)

工場は台中県石岡郷。従業員数200人を超えたこともあり、グランドピアノからアップライトまで。 
FOREST



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FOREST フォレスト

東京楽器制作(株)深川、(トニカ楽器(三田?))
森健氏が東京の深川で多年の経験を生かして名器を作ろうと工場を設立したのが東京楽器。
FORESTは森氏の姓からとったもので独特の設計で音色は美しかったとの情報。
尚、多数の有能な技術者を養成して、これらの技術者は十八会と呼ぶ会合を続けていた。
その後、トニカ楽器扱いに。
FU-10、FU-20、FU-30、FU-50、FU-55、FU-70、FU-80の7機種があった。

FOREST(フォレスト)のトレードマークは当然ながらトニカピアノとほぼ同じトレードマークです。
音符が3つ交差したトニカのトレードマークはこちら →★
エンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

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FORSTEI VON MELOS

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フォルステイ・フォン・メロス

レスターピアノ製造株式会社
東洋ピアノ製造株式会社

トレードマークは2種類あるようです。
上のトレードマークはモルゲンスターン(MORGENSTERN)などとまったく同じトレードマークで、
韓国製のサミック(SAMIC)とも酷似。理由や詳細は不明。

下のトレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
 FORSTER
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フォルスター ドイツ 詳細不明 
FORSTER



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FORSTER/FÖRSTER フォルスター

福島昭彦氏
ベルリンピアノ製造株式会社 日本(浜松市)
有限会社 光輪楽器製作所

昭和34年から昭和46年まで作られていた。

トレードマークには「BERLIN PIANO・CO・HAMAMATSU JAPAN」と入っています。
マーク内にはライオン?とみられる動物が向かい合わせに描かれていてとても印象的ですね。
このトレードマークは「wakopin」様からご寄稿頂きました。
この度は写真のご寄稿を頂きまして誠にありがとうございました!
FOSTER
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フォスター 大和楽器製造株式会社

似た名称で”エー・フォスター/A.FOSTER”(ベルリンピアノ製造株式会社)や、
このすぐ上の”フォルスター/FORSTER”(ベルリンピアノ製造株式会社)もあるので要参照
FOUDRICH
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フードリッヒ 野田ピアノ 詳細不明

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FR. HELMHOLZ

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FR. HELMHOLZ ヘルムホルツ

ドイツ(ハノーファー/HANNOVER)
FRANKE. H.
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ドイツ フランケ 詳細不明
FRANZ OESER



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FRANZ OESER
フランツ・エーゼル/フランツ・エーザー/フランツ・ウーザー/フランツ・オーザー
オーストリア=ハンガリー帝国(ハンガリー製)

オーバーダンパーの写真 →★  外観写真 →★  銘柄マーク →★  響板デカール →★
写真ご寄稿:平田康裕様よりご提供いただきました
FREEDMAN
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フリードマン 東洋楽器製造(浜松) 詳細不明

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FRENCH, JESSE
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アメリカ 読み方不明、詳細不明
FRIEDRICH


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フリードリッヒ FRIEDRICH

福島ピアノ研究所
東京楽器研究所
(株)バロック
静岡楽器製造株式会社

神楽坂の途中に福島ピアノ店という専門店があり、
元輸入商だった福島昭彦氏が材料を提供して作りました。

福島貿易商はもともと横浜にあり”福嶋”が本姓で、
中国の天津や上海にもフリードリッヒのブランドがあり、
それらと契約もあったと伝えられています。
当時、発売店は新宿区神楽坂通り三丁目にありました。

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FRITZ DOBBERT



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フリッツ・ドッベルト/フリッツ・ドベルト ブラジル(サンパウロ)

ローズウッド材の本場なので外装が美しいものが多い。その他詳細不明

<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
フリッツ・ドッベルト(Fritz Dobbert)は、ブラジル・サンパウロを拠点とするピアノ製造業者である。
1950年5月13日創業。
ラテンアメリカで最大のピアノメーカーであり、ブラジルのアコースティックピアノのトップ企業である。
工場はドイツ人のOtto Halben、CelioおよびThyrso Bottura兄弟によって、
Canindé地区でIndústria de Pianos Halben(ハルベン・ピアノ産業)として創業された。
1956年、会社はPirituba地区の倉庫複合施設へ移転し、Pianofatura Paulista(サンパウロ・ピアノ製造)と解明した。
この時にはHalbenは既に会社に関与していなかった。
Pianofatura Paulistaは20種類を超えるピアノブランド名を使用した。
1958年、工場従業員で職人のFritz Wilhelm Ernst Otto Dobbertがピアノの新しい設計を開発した。
このピアノは非常に成功を収め、彼の名を冠した。
間もなく、Pianofatura PaulistaはFritz Dobbertブランドのみを使用するようになった。
長年にわたって、Fritz Dobbertはブラジル最大のピアノメーカーの一つとしての地位を確立してきた。
2015年5月、65周年を迎えた時に、工場はPirituba近郊を離れて、オザスコのより近代的な施設へと移転した。
会社は現在創業者の2世代目によって経営されている。
公式HP:https://www.fritzdobbert.com.br/pianos/fritz-dobbert/

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FRITZ KUHLA

FRITZKUHLA

FRITZKUHLA ピアノ

FRITZKUHLA 特製38号

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FRITZ KUHLA フリッツ・クーラ/(フリッツクーラ)

製造:東洋ピアノ製造株式会社(浜松市)
鉄骨部分には”TOYO PIANO”と刻印があります。
音色はデフォルトではやや堅めのピアノですね。
東京藝術大学や武蔵野音大の指定ピアノだった時期あり?(不確定情報)

<読み方>
○ フリッツクーラ  × フリッツクーラー

ピアノのトレードマークとしては珍しい三角形をしています。
他にも三角形のロゴもありますが、このページの中から探してみて下さい^^

<機種バリエーション>
特製30号、特製38号、特製70号など
フリッツクーラのまくり(蓋内部の右上部)にある大きくて独特なブランド銘柄マーク →★

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FRITZKUHLA
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フリッツクーラ ドイツ 1872~ その他詳細不明
FRITZ KHULA
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フリッツ・クーラ フィリピン 詳細不明
FROBEL
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フローベル フローラピアノ製造株式会社

※フローラピアノ製造株式会社が作る代表ピアノ、”フローラ”のスペルはFLORA”なのですが、
同じフローラピアノ製造が作るこの”フローベル”のスペルは”L”ではなく何故か”R”になっています。
FUCKS & MOHR
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FUCHS & MÖHR フックス・アンド・メーア ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
FUJI


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FUJI フジ

富士楽器製造
シェーンベルグ製造当時の富士楽器が昭和11年に作ったピアノのブランド。
創立者は野田秀治氏。二代目は野田満氏である。 

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FUKUSHIMA


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FUKUSHIMA フクシマ

福島ピアノ研究所(東京都大井町)
福島ピアノは大井町の東京楽器研究所で作り出されたものである。
この研究所の所長であった福島琢郎氏は、ピアノの技術者としては飛び抜けた人であった。
彼は早稲田大学の商学部を卒業後、日本楽器に入社しているが、
当時の農商務省と音楽学校の推薦で渡米し、スタインウェイで2年ピアノの製造技術を学び取ったが、
帰国後、理論と技術が噛み合わず、日本楽器を飛び出している。

福島氏の父親は三井の重役で、当時のエリート中のエリートであったため、
三越の重役その他の出資を得て、さらに実際の技術者として、後にヒロタピアノを作った
日本楽器の広田米太郎氏を招いて、1918年に株式会社東京楽器研究所を設立した。

名前は研究所であったが、実際はピアノ工場で、福島氏は音楽学校の顧問もしていたので、
その製品は品質も優れていたが、販売機構を持たなくても飛ぶように売れていった。
当時のヤマハのアップライトは最低500円であったが、関東のメーカーのピアノの方が値段が高く、
ニシカワが650円、フクシマが最も高く800円だったという。
ちなみに1918年の大卒の初任給は40円だそうです。

製造台数はわずか500台程度であったが、この研究所で技術を習得した多くのピアノ技術者たちが、
後の関東地方のピアノ製造を支えたのである。
技術者として活躍した方々は次の通り極めて多い。
木下乙弥氏、藤原梅太郎氏、太田一郎氏、山崎秀雄氏、清水栄一氏、伊藤辰雄氏、橋本勝美氏、
足立三郎氏、斉藤喜一郎氏、渥美亘弘氏、竹内友三郎氏、森吾市氏、大越勇喜氏、淵田栄氏、
松崎妙氏、大岩隆平氏、大友雅一氏、飯国一郎氏、福井辰利氏、大井長一氏、の各氏。

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FUKUYAMA & SONS

FUKUYAMA & SONS

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フクヤマ/フクヤマ・アンド・サンズ

明治12年生れの福山松太郎氏が明治末期より神田小川町に開業した福山ピアノが、
昭和40年代になって自らの姓をつけて製作した自信作とのことである。
高級品を目指して努力したと伝えられています。

音色、出来栄えともになかなか良いピアノだと感じます(※ただしピアノの個体差は大きいです)
ピアノの蓋には、FUKUYAMA & SONSと書かれています。

上のトレードマーク画像がアップライト、下のトレードマーク画像がグランドです。
グランドピアノの方のトレードマークは、「I様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!

フクヤマのグランドのフタ部分にある銘柄マーク →★

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FURSTEIN (FARFISA)
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フルシュタイン(ファルフィサ) イタリア 詳細不明
FURTADOS
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インド 総合楽器メーカーでピアノもわずかに製造しているようです
その他、詳細不明

公式ホームページ:https://www.furtadosonline.com/
フェイスブックページ:https://www.facebook.com/FurtadosIPT/










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