【頭文字Nから始まるピアノブランド】
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ピアノ銘柄ブランド トレードマーク 紹介 & 知名度ランキング ![]() |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 |
N. YAMAHA![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
N.YAMAHA エヌ・ヤマハ 製作者 : 山葉直吉氏、大橋幡岩氏、尾島一二氏、田中喜三郎氏ら 尾島直吉氏(旧姓)は10歳の頃、山葉オルガン製造所(後の日本楽器製造株式会社、現ヤマハ株式会社)の 創始者である山葉寅楠氏のもとに弟子入りをし、その後山葉寅楠の姪と結婚して山葉直吉と姓が変わる。 1927年(昭和2年)、当時起こっていた内部労働争議が原因となり山葉直吉氏は工場長を辞職し、 そしてその翌年には日本楽器製造株式会社を正式に退職しました。 その後山葉直吉は、「山葉ピアノ研究所」を設立し、直吉に追って退職した大橋幡岩氏、尾島一二氏、 田中喜三郎氏らとともに「N.YAMAHA」のブランドでピアノ製造に取り組んで製作されたピアノです。 N.ヤマハのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NAOZIM![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NAOZIM (NAOZEM) ナオジム (ナオゼム) 松山ピアノ製作所 さまざまな新しい構造や形式を取り入れた特徴のあるピアノで一時話題となった。 二重響板の特許を持っている。松山直次氏の経営。 ナオジムのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NATIONAL![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
ナショナル NATIONAL 日本 そう、あの有名な国内大手電機メーカーである「ナショナル」でも自社ブランドとして 過去にピアノを販売していました。ピアノブランドとしてはかなりマイナーです。 実際に作っていたのはナショナルではなくどこかのピアノ製造会社だと思いますが、なかなか面白い時代ですね! 機種:SP-18等 ※ちなみに音響器機メーカーのあのビクターでもピアノを作っていたことがあり、そちらはそこそこ有名です。 |
NATORI 画像クリックでHPへ戻る |
ナトリ ナトリピアノは石川隆己氏の弟子である調律師の名取氏が作っていたピアノです。 その他詳細不明。 昔の調律師はピアノも作っていたんですね。 職人自体が調律師をしていた時代とも言えるかと思います。 ナトリのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NEUMANN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ノイマン NEUMANN ドイツ 詳細不明 |
NEUPERT![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NEUPERT ノイペルト ドイツ(旧西ドイツ)ハンブルグ ドイツのハンベルグに、最大級のチェンバロ工場がある。 当初はピアノを造る会社であったのが、第2次世界大戦後バロック時代の古楽器に絞って、 チェンバロとクラビィコード専門に生産を続けるようになった。 はじめのうちは古楽器の模倣とコピーで始めたが、次第に設計段階から創意工夫改良を加え、 それがまたバロック音楽の復興の波に乗って販路が広まったのだと思う。 その製品は、終戦直後から日本にも輸入され、放送局も学校や個人用にもノイペルト社が主流品に。 ノイペルト社の創業は、1868年、ヨーハン・C・ノイペルト(Johann Chritoph Neupert 1842~1921)が ドイツのニュルンベルグの工場開設から始まった。その後1874年に工場をバンベルグに移した。 彼の3人の息子が家業を継ぎ、まもなくミュンヘンとニュルンベルグにも支店を出すようになった。 ヨーハン・C・ノイペルトは、傍らにバロック時代の古楽器を収集していた。 彼はそれらの良さに魅せられて、1907/08年からは自分の工場でチェンバロとクラビィコードも造りはじめた。 それがいつのまにか全面的に古楽器生産に切り替えるようになり、 彼の蒐集品は、そのまま「ノイペルト音楽史博物館」になっている。 ノイペルトのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NEWMEYER このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NEWMEYER ニューマイヤー ドイツ 詳細不明 ※中国製の”ニーマイヤー”とは異なる |
NIEER![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NIEER ニエアール/ニエアル(聶耳) 中国(上海) ニエアールとは漢字で聶耳と書く。上海製のピアノのブランドである。 中国では、日本でピアノが作られた以前の19世紀の半ばに、スコットマン(SCOTMAN)、 およびモートリー(MOUTRIE)というイギリス系のピアノを最初に香港で作り、 後に上海で作ったと記録されていることから、その製造技術の歴史は相当に古い。 このピアノは、中国のうちでは優れた部類に属するもので、種類としてはフルコンサート グランドからスピネットに至るまで各種のものが作られている。 聶耳(ニエアール/ニエアル)とは中国の作曲家の名前である。 上海の工場では他にシャンハイ(SHANGHAI)というブランドも作っている。 ニエアールのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NIEMEYER![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
NIEMEYER ニーマイヤー ドンペイピアノ(中国東北部の东北) <HPより抜粋> 1850年代にドイツのピアノ技師Niemeyerによって初めて作られたピアノ。 現在は、Dongbei Pianoが全ての製造機械と職人を中国の遼寧省に移し製造を続けています。 北緯40度付近に広がるエゾマツを共鳴版に使い24時間稼動の最新設備の工場で製造され、 現在世界20カ国以上で販売 その他詳細不明 ニーマイヤーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NIENDORF このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ニーンドルフ NIENDORF/NIENDORF FLÜGEL) ドイツ(旧東ドイツ) <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ニーンドルフ・フリューゲル・ウント・クラヴィアファブリック(Niendorf Flügel- und Klavierfabrik、 ニーンドルフ・グランドピアノ・アップライトピアノ工場)GmbHは、 ドイツ、ブランデンブルク州ルッケンヴァルデに所在するピアノ製造会社である。 ヘルマンとカール・ニーンドルフは1896年にルッケンヴァルデで楽器工場「Niendorf & Hemprich」を創業した。 彼らの工場はベビーグランドピアノとサロングランドピアノ、アップライトピアノを専門にした。 製品は3割はドイツで、残り7割は世界中(主に南米)で販売された。 1900年にブランド名「Gebr. Niendorf(ニーンドルフ兄弟)」が使用されるようになった。 1921年に初代の工場がほぼ完全に焼失したため、会社は1922年に新たに作られたルッケンヴァルデ工業団地に 4万5千平方メートルで新たに営業を始めた。 この時に、「Gebr. Niendorf Pianofortefabrik AG 」(ニーンドルフ兄弟ピアノ工場株式会社)が設立された。 1929年、ニーンドルフ社は他の名高いドイツのピアノ製造業者と同様に、「Deutsche Piano-Werke AG」 (ドイツピアノ工場株式会社)に加盟した。 この統合の目的は世界恐慌によってもたらされた困難な経済状況を生き抜くためにいくつかの 作業工程を標準化することにあった。 Piano-Werke AGの生産拠点はルッケンヴァルデにあり、後にはブラウンシュヴァイクに移った。 2年後、ヘルマン・ニーンドルフとマックス・ニーンドルフは協同組合から脱退し、 再び「Gebr. Niendorf」を商業登記した。 ナチス時代、ニーンドルフ社は破産を申し立てざるを得なくなった。 会社はFa. Riese, Hallmann & Co. に引き受けられ、 既によく知られていたGebrüder Niendorfのブランド名は守られた。 東ドイツの人民公社(VEB)ドイツピアノ組合ライプツィヒの指導の下、Gebr. ニーンドルフは 1974年に強制的に国有化された。 高品質楽器の生産は続けられ、アメリカ合衆国、アジア、西欧、ソ連へ輸出された。 VEBドイツピアノ組合ライプツィヒでは、「Niendorf」、「Hupfeld」、「Gerbstädt」、「Rönisch」、 「Zimmermann」、「Steinbach」、「Fuchs & Möhr」、「Alexander Herrmann」ブランドの アップライトピアノおよびグランドピアノが生産された。 これらのより小規模の工場は数年のうちに合併された。年間生産数は約3千台にまで増加した。 フォークトラント音楽祭1985の中で、楽器産業の称賛に値する労働者らがドイツ民主共和国(東ドイツ)の 楽器製造における優れた業績により名誉表彰を受けた。 第2位の賞はVEBドイツピアノ組合ライプツィヒのルッケンヴァルデ支部のピアノ職人、技術者、 設計者に共同で授与された。 この賞は高品質のZimmermannグランドピアノ・モデル145を開発した功績を表彰したものであった。 このグランドピアノはライプツィヒ・メッセでも金メダルを受賞した。 ドイツ再統一後、1990年代にMärkische Pianofabrikが信託公社として営業を開始し、 ニーンドルフブランドの製品を販売した。この会社はすぐにLeipziger Pianofortefabrikによって買収され、 それ以降はMärkisches Werk Luckenwaldeという名称で営業した。 この時期、50名の労働者がレーニッシュおよびフップフェルトブランドのベビーグランドおよび パーラーグランドピアノを生産した。 1995年にMärkisches Werkは閉鎖が予定されたが、1996年、前従業員と会計責任者のRegina Rotschが 会社を買収し、Rotsch Flügel- und Klavierfabrikの名称で復活させた。 不運なことに、最大の顧客であったLeipziger Pianofortefabrikがわずか数カ月後に倒産した。 野心を持って、Rotsch Flügel- und Klavierbauはすぐに年間60台を購入する日本の顧客を獲得し経営を守った。 自身のニーンドルフピアノを設計した1998年、社は営業所も開設し、 その一年後にはベルリン・ミッテ区に店を開いた。 ニーンドルフ社はピアノ学校も開き、定例の音楽会も開いた。 2000年から2005年まで、会社はRegina Rotschの夫Hennigと彼らの娘Christinaによって経営された。 彼らは米国の以前の共同事業者へ楽器を供給した。 2014年、前従業員でピアノ職員のMarkus Ernickeが会社を引き継いだ。 2015年からはMade in Germanyのアップライトピアノおよびグランドピアノの生産が再開し、 続く数年間で生産数と従業員数は順調に拡大した。 2018年2月現在、23人の従業員によって年間約60台のピアノが製造されている。 製品ラインは高さ118および123 cmのアップライトピアノと全長145、172、227、275 cm(2017年9月) のグランドピアノである。ニーンドルフ社は2016年からドイツ起源の部品のみを使用している。 公式HP:https://www.niendorf-piano.de/en/ |
NIPPON このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NIPPON ニッポン 日本ピアノ 詳細不明 |
NISHIKAWA![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NISHIKAWA ニシカワ 製造:西川ピアノ(横浜) 日本のピアノ工業創始者の一人西川虎吉氏、西川安蔵氏親子による歴史的ピアノ。 材料の多くを輸入に仰いだが国産ピアノ第一号とする説も多い。 横浜の外国商社との取り引きが古く、明治23年の内国博覧会で一等賞をとった。 大正10年に日本楽器製造(株)により買収され、工場は日本楽器横浜工場となり、 西川ピアノは1916年から1921年までピアノを作り続けて、 当時としては品質が優れたものであったという。 なお、その生産台数については全く分かっていない。 <歴史> 西川ピアノの創立者である西川虎吉氏は1846年に千葉県周淮郡常代村(すえぐんとこしろむらと読む) 現在の君津市で伊藤徳松氏の次男として生まれ、若いときは三味線作りの職人でした。 後に西川家の養子となって横浜に移り住みます。 彼は横浜でドイツ人調律師のドーリングに調律方法を習い、1885年に西川オルガン製作所を 横浜駅西口の鶴家町(現在の浅間町付近)に設立、日本で最初のオルガンを製作しました。 彼のピアノ製作に関する記録はほとんど残っていませんが、1876年頃、当時横浜で楽器とその部品の輸入商の アレキサンダー・クラークの扱うピアノやオルガンの修理・調整を手伝い、 さらに外国人技術者のイギリス人クレン氏とドイツ人のカイロ氏のもとで7年間の修行をして 調律・製作の技術を身につけたようです。 ピアノ調律界の元老であった沢山清次郎氏の生前の記録によると、日本のオルガン製作の元祖は 西川虎吉氏で、山葉寅楠氏がオルガン製作を開始したのは1887年であると伝えられている。 しかし、アメリカの文献によると日本で最初にオルガンを製作したのは山葉寅楠氏で 1885年との記載がありどちらが正解なのかは不明。 西川ピアノは1916年から1921年までピアノを作ってきたが、アップライト・グランドともに 当時としては優れたピアノだったようです。 その後、西川ピアノは1921年に日本楽器製造(株)ヤマハに買収され、 工場は日本楽器横浜工場となり、販売店指定ブランドで作るピアノ、 いわゆるステンシルピアノを作っていたが、1936年頃に工場を閉鎖しました。 虎吉氏の一人息子であった西川安蔵氏も二代目としてその事業を受け継ぎアメリカのエスティ社に留学し、 西川ピアノが日本楽器に買収されるまでピアノ製作に尽力されたというが、その業績については不明。 ニシカワのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NISHIKI このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
中国 詳細不明 |
NITTO![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NITTO ニットー 日東楽器工業(製造)、(有)須賀亀商店(発売元) ハーモニカを主として取り扱っていた東京の楽器卸商であった (有)須賀亀商店が取り扱った廉価版 ニットーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NOBEL![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NOBEL ノーベル 日米楽器工業所(アトラスピアノの前身)浜松 ノーベルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NOCTURN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NOCTURN ノクターン ロシア(ソ連) 詳細不明 |
NORDISKA![]() このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NORDISKA ノルディスカ スウェーデン ・ 中国(ドンペイ) 1891年にスウェーデンのヴェトランダで生まれたピアノです。 当時120cm以下の家庭向きが主流で、外装の多様性がすばらしい。 現在は米ボールドウィン社の傘下であるDongbeiPianoで製造され、 比較的安価で高品質なピアノを提供しています。 特にグランドピアノは評価が高く、中国産のグランドピアノでは 品質・輸出量とも1位の実績を持つピアノとのこと。 現在はギターで有名なアメリカのギブソン社(Gibson社)の傘下でピアノ製造をしています。 <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ノルディスカ (Nordiska) は、1926年にスウェーデンにてピアノ製造を開始したピアノメーカーである。 現在は中国のピアノメーカー・営口東北鋼琴(以下「ドンベイピアノ」と呼ぶ)のブランド。 1988年に中国の国営企業であったドンベイピアノがスウェーデンにて製造されていた ノルディスカピアノの設計・工場・設備を全て買取り、中国でピアノ製造を始める。 ドンベイピアノは1990年代後半には中国ピアノメーカーの中でもトップ5に入る生産台数・販売台数となり、 アメリカをはじめ日本やヨーロッパなどにピアノを輸出し始めた。 その後、ノルディスカは低価格戦略とヨーロッパから受け継いだ生産技術力を生かし生産台数を伸ばした。 その後、ドンベイピアノは民営化され、2007年にアメリカの大手ギターメーカー「ギブソン」に買収された。 ドンベイピアノはギブソングループに入ると同時に社名を 「Baldwin Dongbei Piano(ボールドウィンドンペイピアノ)」に変更し、 工場ではアメリカの老舗ピアノブランド「Baldwin(ボールドウィン)」をはじめ 「Nordiska(ノルディスカ)」「August Hoffman(アウグストホフマン)」 「J&C Fischer(ジェイアンドシーフィッシャー)」などのピアノブランドを製造している。 2009年には中国の公的機関(国又は省)から一定の生産経歴と実績、設備、技術、サービス、企業イメージ、 社会に対する貢献度などを満たした企業に贈られる「著名商標」(名牌産品/有名ブランドの意)に ノルディスカが認定された。工場はISO 9001=2000を取得している。 ノルディスカのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
NORMAN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
NORMAN ノルマン 中響ピアノ(浜松) 詳細不明 |
NYLUND & SON このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ニールンド・アンド・サン スウェーデン(ウプサラ) <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ニールンド&ソーン(Nylund & Son)は、スウェーデン中部ウプサラのピアノ製造会社である。 アップライトピアノとグランドピアノの両方を製造していた。 1906年にEmil Nylundによって創業され、1927年以来現在の建物を維持している。 1990年頃、ニールンド社はピアノ製造を止め、現在はアコースティックピアノおよび デジタルピアノをはじめとする楽器の販売を行っている。 ニールンド・アンド・サン公式HP →★ |
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