【頭文字Zから始まるピアノブランド】
さらに詳しい解説は下記「アルファベット順1930種類」のページへ
ピアノ銘柄ブランド トレードマーク 紹介 & 知名度ランキング ![]() |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他 |
ZAUBER![]() ![]() ![]() ![]() 画像クリックでHPへ戻る |
ZAUBER ツァーベル 製造:スワン楽器製造KK(浜松)、発売元:浅賀ピアノ商会(文京区動坂町) 浅賀ピアノ商会(東京都文京区動坂町221)がスワン楽器に作らせたもの。 ツァーベルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ZEITTER & WINKELMANN このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
ZEITTER & WINKELMANN ツァイッター&ヴィンケルマン(ウィンケルマン) ドイツ(旧西ドイツ) <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ツァイッター&ヴィンケルマン(Zeitter & Winkelmann)は、ブラウンシュヴァイクで 最古のピアノ製造会社であった。 1837年にクリスティアン・ルードヴィヒ・テオドール・ヴィンケルマン (Christian Ludewig Theodor Winkelmann)によって創業された。 ヴィンケルマンはWollmarkt 3番地の家で最初のスクエア・ピアノを製作し、すぐにグランドピアノも製作した。 フリードリヒ・ツァイッター(Friedrich Zeitter)が1851年に共同事業者として会社に加わった後、 ツァイッターはとりわけ交差弦と鋳鉄フレームを導入した。年間生産数は60から80台に増加した。 1888年、Hildesheimer通りに新たな建物が建築され、この建物は1924年に拡張された。 同年には3万台のピアノが生産された。 1920年代、ツァイッター&ヴィンケルマンとブラウンシュヴァイクを拠点とするシンメル社、 その他いくつかのピアノ製造会社が協力し、「Deutsche Pianowerke AG」(ドイツピアノ工場株式会社)を設立した。 1930年代にこの連合は再び分裂し、ツァイッター&ヴィンケルマンとシンメルは独立を確保し続けた。 1944年10月15日のブラウンシュヴァイク空襲によって生産施設が破壊された。 しかしながら、後継者のルドルフ・ヴィンケルマン jun. がライプツィヒ通りに会社を再建した。 1963年以降、ツァイッター&ヴィンケルマンはザイラーグループに加わった。 |
ZENDER このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
SYDNEY ZENDER &CO ゼンダー イギリス 詳細不明 |
ZENON 画像クリックでHPへ戻る |
ZENON ゼンオン 製造:全音楽器製造KK(浜松) 製造:タイガー楽器製造KK(磐田市) 発売元:全音楽譜出版社 全音楽譜出版社の事業部と山葉良雄氏のタイガー楽器との間で、 ”ゼンオン”のブランドでピアノを作ることが協議され、 事実上タイガー楽器を引き継いだ形で生産が行われ、 磐田市に最新式のベルトコンベアーによる工場を作ったが、 ビクターの参加も不調に終わり、ビクター・ゼンオンのブランドは一時期だけであった。 ゼンオンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ZIMMERMANN 画像クリックでHPへ戻る |
ZIMMERMANN チンメルマン(ツィンマーマン) ドイツ(旧東ドイツ) 現在の設計:ベヒシュタイングループ 現在の製造:中国の海倫鋼琴(ハイルンピアノ) 新しい楽器はよい出来で、数十年もすると世界的に知られるようになりました。 1904年には製造拠点が一気に拡大され、ツィンマーマンはベルリン、ハンブルク、ドレスデン、 アムステルダム、デン・ハーグ、ブエノスアイレスに営業拠点を築いて、ヨーロッパでも屈指のピアノメーカーへ。 40万台を越える楽器が売れたことが、ツィンマーマンの価値を物語っています。 ツィンマーマンは、ベヒシュタイングループ・ベルリンのノウハウによって作られており、 その製造工程では世界的に有名なピアノメーカーの設計基準が採用されています。 例えば、木材の買い付けは厳しい環境的選択基準にしたがって行われます。 丁寧なシーズニング、妥協を許さない乾燥の過程を経て、木材は、無理なく自然に望ましい湿度に達し、 厚板として乾燥されるトウヒ、マツ、ブナといった木材は、高い安定性を獲得します。 ツィンマーマンは同時に、細かく製材加工された部分にも気をつけています。 コンピュータ制御された機器を使った精密な作業は素晴らしく高い安定性をもたらすので、 気候の変化にも動じなくなります。 ツィンマーマンは響板を楽器の魂としています。このしなやかな振動板と、フライス盤で加工され、 ほぞに組み込まれて張力を支える響棒は、年輪が細かく最高の音響伝導能力をもつトウヒでできています。 鍵盤アクションを載せている棚板は安定していなければなりません。 金属がその持ちをよくし、特殊な木のパネルがやはり響きを支えます。 最高品質の羊毛フェルト、柔らかな天然皮革、頑丈なナラは、いずれも自然素材からなり、 ツィンマーマンのアクションを構成しています。 ■機種/モデル バリエーション アップライト:111CH(高さ110cm)、111M(高さ110cm) グランドピアノ:M-145(奥行き145cm)など 画像は「Atelier Pianopia」様からご寄稿頂きました。ありがとうございます! <以下、ウィキペディアより引用抜粋> ツィンマーマン(Zimmermann)はドイツのピアノメーカー、ブランド名であり、 1992年からはC・ベヒシュタイングループに属している。 Gebr. Zimmermann(ツィンマーマン兄弟)としてマックス・ツィンマーマンと リヒャルト・ツィンマーマンによって創業された。 (後に社名はLeipziger Pianoforte-Fabrik Gebr. Zimmermann Aktiengesellschaftに改名) その一方で、ベヒシュタインの全てのアップライトピアノおよびグランドピアノはザイフヘナースドルフにある かつてのツィンマーマンの工場で製造されている。ツィンマーマンの歴史的な生産拠点は メルカウ、アイレンベルク、およびコッタ(ドレスデン)である。 現在、ツィンマーマンブランドのピアノはベヒシュタインが設計し、 中国の海倫鋼琴(ハイルンピアノ)が製造している。 マックスとリヒャルト・ツィンマーマン兄弟はライプツィヒにある父親の工房で木工を学んだ。 マックス・ツィンマーマンはその後ピアノ製作者のアウグスト・ヘルマン・フランケ(ライプツィヒ)、 Robert Seitz(ライプツィヒ)、Philippi Frères(フランクフルト・アム・マイン)、 そしてスタインウェイ・アンド・サンズ(ハンブルク)で働いた。 テオドール・シュタインヴェークはハンブルクからこの才能豊かな若者をニューヨークへ送り、 マックスは整音師としてスタインウェイ・ホールで働いた。 1884年、マックスとリヒャルト・ツィンマーマンはライプツィヒ・アレクサンダー通りに自身の ピアノ工房「Gebr. Zimmermann」(ツィンマーマン兄弟)を設立した。 1890年、ライプツィヒ・ツァイツァー通りに販売店を開いた。 1892年には、ライプツィヒ近郊のメルカウに新たな生産施設を開いた。 1895年、法人形態を株式会社(Aktiengesellschaft)に変更し、 社名を「Leipziger Pianoforte-Fabrik Gebr. Zimmermann Aktiengesellschaft」とした。 1904年、ツィンマーマン兄弟はピアノ工場を建設するためにアイレンベルクに居を定めた。 兄弟はピアノの生産のために、アイレンベルクの北部(Jacobsplatz)にあった破産したコットン印刷業者 「Ehrenberg und Richter」の元工場を高い設備投資額を使ってピアノ工場にした。 この工場は年間1万台のピアノを生産する能力があった。 1911年から1914年の期間の広告には、社名に当時事実上の本拠地であった アイレンベルクの地名が加えられていた。 1911年、ザイフヘナースドルフに工場が開業した。 年間生産数は1万2千台、従業員は1400人となったツィンマーマン社は ヨーロッパ最大のピアノメーカーとなる成功を収めた。 1914年にはアイレンベルクで700人を雇用し、ドイツセルロイド工場(DCF)に次いで都市で 2番目の多い従業員を雇用する企業であった。 第一次世界大戦中は、主に女性の人員が弾薬箱を生産した。戦後、少数のピアノ生産が再開した。 徐々に、ピアノの生産数は再び上昇し、1926年には4500台となった。しかし、会社は家具も製造した。 同年、Gebrüder Zimmermannの生産はライプツィヒ近くのベーリッツ=エーレンベルクにある ルートヴィヒ・フップフェルトAGと合併した。これによってヨーロッパで最大かつ現在は 最古のピアノ工場ができあがった。それ以降、社名は 「Leipziger Pianoforte- und Phonola-Fabriken Hupfeld-Gebr. Zimmermann AG Eilenburg」 に改名された。1929年1月、アイレンベルク工場で大火があり、 ライプツィヒ消防署の助けによってようやく鎮火した。 同年の10月の頭に世界恐慌が起こった。 1931年初頭、アイレンベルク工場は閉鎖され、生産はザイフヘナースドルへと移転した。 メルカウにある工場は少なくとも1925年まで存在した。 1932年から1937年までアイレンベルク工場には国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の 労働奉仕キャンプが置かれた。 これが移転した1937年、フップフェルド=ツィンマーマンAGが戻ってきた。 現在の工場4では木材と金属の加工が行われている。 第二次世界大戦中も軍需生産が行われた。 1945年4月13日、アイレンベルクにおけるフップフェルド=ツィンマーマン社の残る 全ての従業員は解雇された。 1945年の後、会社は国有化され、「VEB Deutsche Piano-Union Leipzig」の下部組織となった。 ツィンマーマンのブランドは存続した。 東西ドイツ統一後の1992年、C・ベヒシュタイン・ピアノフォルテファブリークがツィンマーマン社を買収し、 ドイツにおける生産拠点をザイフヘナースドルフへ移転した。 ツィンマーマンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
© ピアノカルテ/Yutaka Sugimoto Pianotuner, All Rights Reserved.